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東京地方裁判所 平成8年(合わ)427号 判決 2000年6月29日

主文

被告人を死刑に処する。

理由

【犯罪事実等】

(背景事情)

一  被告人の身上・経歴等

被告人は、父B7と母B8の間の次男(三人きょうだいの末子)として東京都内に生まれ、地元の小中学校を卒業した後、私立○○高等学校に進学したが一年次に退学し、その後、東京都立○○高等学校定時制に入学して、卒業後は○○大学電気工学部(夜間課程)に進学し、昭和五八年三月に同大学を卒業した。大学卒業後、約三年間にわたり、インド、東南アジア、アメリカ、中南米を旅行するなどした後、乙川次郎こと乙川次郎(以下「乙川」という。)の著書「生死を超える」を読んで、これに関心を持ち、昭和六二年五月ころ乙川が主宰する「オウム神仙の会」に入会した。

二  オウム真理教の設立、拡大

オウム真理教は、乙川が、昭和五九年二月ころにヨガの修行等を目的として設立した「オウム神仙の会」を母体として、昭和六二年七月ころ、その名称を「オウム真理教」に変更した宗教団体であり、平成元年八月には、東京都知事から規則の認証を受け、宗教法人オウム真理教として設立登記された(以下、単に「教団」という。)。

乙川は、教団の教祖として、原始仏教やチベット仏教をもとにした教義を説き、また、自らを「最終解脱者」と称して、信者らには自らを「尊師」「グル」と呼ばせて君臨していたものであり、同人に絶対的に帰依してその教えを忠実に実践し教団の修行や与えられた仕事(「ワーク」)に励めば、解脱に至ることができる旨説いた。そして、教団では、修行を進めるには、親子の縁を一切捨て、全財産を布施して他の信者との共同生活を行う、つまり出家することが望ましいとして、これを強力に奨励した。教団では、修行の進み具合等によって出家信者がいくつかの「ステージ」に振り分けられ、「尊師」乙川を頂点としたヒエラルキーの組織が形成され、下位者は上位者の指示命令に服従することとされていた。

また、乙川は、いずれは「ハルマゲドン」(「世界最終戦争」により、人類が破滅すること)が起こるとして、できるだけ多くの人々を教団に入信させ出家させて解脱に至らせれば、「ハルマゲドン」から衆生を救済することができるなどと説いた。そこで、教団では大規模な信者獲得活動を行い、日本全国各地や海外にも支部を開設したほか、出家者が大量に移住するための大規模施設を静岡県富士宮市(以下「富士宮市」という。)、山梨県西八代郡上九一色村(以下「上九一色村」という。)、熊本県阿蘇郡波野村(以下「波野村」という。)等に建設するなどした。右のような信者獲得活動や教団施設建設の過程においては、信者の家族や付近住民等とのトラブルが後を絶たず、その一方で、教団では、教団こそが真理を実践できる唯一の団体であるとしていたため、次第に他の宗教団体や批判勢力を敵視するようになった。

三  教団の特殊な教義と武装化

1 ヴァジラヤーナの教義

乙川は、昭和六三年ころから、「タントラ・ヴァジラヤーナの教義」(以下「ヴァジラヤーナの教義」という。)を説くようになった。その内容は、自らを無にして宗教上の指導者たる「グル」と一体化することが、解脱に至る最短の道であるというもので、乙川に対する盲目的な帰依を強調するものであり、さらに、悪業を積んだ者を「グル」の指示により殺害することは「ポア」(本来は、衆生を一段高い世界へ引き上げることによって救済するということ。)として正当化される、すなわち、「グル」である乙川の命令によるのならば、殺人さえ許されるという内容も説かれた。

2 教団における初期の反社会的行為

ヴァジラヤーナの教義が説かれ出したころから、教団においては数々の反社会的行為を犯すようになった。すなわち、昭和六三年九月から一〇月ころ、乙川の命令で、幹部らが教団施設内で、修行中に死亡した出家信者の遺体の焼却と遺骨の処理を行ってその事実を隠蔽し、その後、平成元年二月ころには、乙川に反抗的な態度をとり、下向(教団においては、出家を止めて在家に戻ることを指す。以下同じ。)の意思を示していた出家信者への加害がなされるに至った。

このころから、教団の出家制度が大きく問題とされるようになり、出家信者の家族を中心として「被害者の会」が結成され、また、教団の宗教法人化のころから、マスコミで教団の活動の問題点を報道するようになっていたところ、教団は、右被害者の会やマスコミと対立関係を深める中で、平成元年一一月には、乙川の命令により、右被害者の会を支援していた弁護士を殺害するという事件を起こした(坂本弁護士一家殺害事件)。

3 衆議院議員選挙での惨敗と武装化路線

乙川は、教勢拡大のために政治的権力を掌握しようと考え、平成二年二月の衆議院議員選挙に幹部信者らとともに立候補したが、全員落選という惨敗に終わった。

これを機に、乙川は、「ハルマゲドン」から衆生を救済するには、「ヴァジラヤーナの実践」によるしかない、現世は煩悩に満ちており、人々は悪業を積んでいるのであるから、このような人々を「グル」すなわち乙川の命令によって殺害することは「ポア」として救済になるなどと説いて、ヴァジラヤーナの教義をさらに強調するようになった。以後、乙川は、右教義について繰り返し説法しながら、国家権力との対決姿勢を強め、幹部信者に対しては、後記のとおり、銃砲、細菌兵器、化学兵器等の製造開発等を行わせて、教団の「武装化」を図る一方、一般信者に対しては、これまでに説いていた「ハルマゲドン」に加え、教団が毒ガス攻撃を受けている、自分の命があとわずかであるなどと説き、出家信者や在家信者らの危機感を煽って、乙川への帰依を強めさせ、かつ、教勢の拡大を図る方策をとるようになった。なお、乙川によるヴァジラヤーナの教義の説法は、教団で貸し出されるカセットテープや「ヴァジラヤーナ教学コース」と題する書籍等に記録され、信者とりわけ出家信者は、これらを繰り返し聞いたり読んだりして、右教義を完全に習得することを要求されていた。

4 武装化路線の内容

乙川は、前記のとおり、平成二年二月の衆議院議員選挙惨敗の後から、教団の「武装化路線」を推し進めるようになり、平成五年春ころからはこれを本格化させたが、その主たる内容は以下のとおりであった。

(一) 細菌兵器の開発

前記衆議院議員選挙の直後ころ、乙川は、教団幹部のC、G及び出家信者のKらに命じて、猛毒の細菌兵器であるボツリヌス菌を採取させてこれを培養させ、また、教団幹部のBやDらとともにこれを日本全国に散布する計画を立てた。そして、平成二年四月ころ、ボツリヌス菌散布による災禍から教団信者を避難させる目的で、約一五〇〇人の信者を「石垣島セミナー」と称する集会に参加させたが、結局、散布計画は失敗に終わった。

その後、武装化路線を本格化させた平成五年四月ころからは、Kらに命じてボツリヌス菌や炭疽菌を培養させ、同年六月から七月ころ、教団亀戸道場において、対立関係にある周辺住民を狙って、二回にわたり炭疽菌の噴霧を試みたものの、いずれも失敗に終わった。また、同年八月ころには、噴霧器を積んだトラック数台により東京都内に炭疽菌の噴霧を試みたが、これも失敗に終わった。

(二) 化学兵器の開発

平成二年のボツリヌス菌散布の失敗後、乙川の命を受けたB及びDらは、毒ガス化学兵器であるホスゲンの大量生産を企図し、かねてから教団施設が建設されていた波野村において、そのためのプラントを建設しようと試みたが、失敗に終わった。

そして、平成五年ころには、乙川の命により、後記のとおり、出家信者のJが毒ガス化学兵器であるサリンの開発、生成を行うようになった。さらに、Jは、平成六年ころから、サリンに加えて同じく猛毒のVXガス等の生成も行うようになった。

(三) 自動小銃の密造等

乙川は、Dらとともに自動小銃の大量密造を企図し、平成五年二月ころ、Cをロシアに派遣して自動小銃(AK銃)一丁を入手させ、平成六年ころからは、出家信者のS、Q、Vらを中心として自動小銃密造を行わせたが、平成七年一月ころに一丁が完成したに止まった。

その他、乙川の命を受けたDらは、レーザー兵器、プラズマ兵器等の開発を試みるなどしていた。

(四) 中国ツアー、ロシア射撃ツアー及び軍事キャンプ

乙川は、平成六年二月下旬に、自らがその生まれ変わりであると称していた明の初代皇帝朱元璋の足跡をたどるとして、D、C、G、K、J、U、Hや被告人ら、多数の幹部を含む出家信者約八〇名を連れて中国旅行に出掛けた。その途中、南京のホテルにおいて、乙川は、被告人ら参加者に対し、真理の実現のためならば殺人、姦淫、盗み等も許されるといういわゆる「ヴァジラヤーナの五仏の法則」を説法した。

また、乙川は、将来教団の軍隊を結成させようとの目論見の下に、平成六年四月、C、G、U、被告人、L、M、Rらをロシアに派遣して射撃訓練を行わせ(ロシア射撃ツアー)、その後、右射撃ツアーに派遣されたメンバーを中心として、静岡県内等で軍事訓練と称して筋力トレーニングや武道訓練等のキャンプを行わせた(軍事キャンプ)。

(五) 省庁制の発足

教団は、平成六年六月に、国家組織を模した「省庁制」を発足させ、幹部信者を各省庁の「大臣」「次官」等に据え、その下に出家信者を組織した。主な省庁の「大臣」としては、「科学技術省」のD、「自治省」のG、「諜報省(CHS)」のU、「法皇内庁」のH、「厚生省」のK、「建設省」のC、「治療省」のO等が配置された。

四  教団によるサリンの生成

1 サリンの毒性

サリンは、第二次世界大戦中ドイツにおいて人の大量殺りくを目的とした兵器用神経ガスとして開発されたもので、その毒性は、人の神経における信号伝達機能を阻害することにより発現し、重症になるとムスカリン様症状の失禁、縮瞳、気管支分泌増加、肺水腫による呼吸困難、中枢神経症状の意識混濁、昏酔、体温上昇、ニコチン様症状の全身痙攣、呼吸筋麻痺に陥って、最終的には死に至るというものである。毒性の強さは、一立方メートルあたり一〇〇ミリグラムで一分間暴露すれば、半数の人間が死に至るというものであり、極めて殺傷能力が強い。

2 サリンについての説法等

乙川は、平成五年ころから、「ハルマゲドン」に使用される兵器としてプラズマ兵器、細菌兵器に加えて化学兵器を挙げ、サリン、ソマン、タブン、イペリットが化学兵器の毒ガスであるとして、サリンの毒性等について繰り返し説法等で触れるようになり、また、教団が敵対勢力から毒ガス攻撃を受けている旨の説法をするようになった。

3 サリン生成の開始とその進捗

乙川の意を受けたDは、平成五年六月ころ、Jに対し、大量生産の可能な毒ガス兵器の研究開発を命じた。JはDと相談しつつ研究を重ね、サリンが大量生産に最も適しているという結論を出し、同月ころから教団のダミー会社を使って原料の薬品類を大量に仕入れさせた上、同年八月に建設された上九一色村所在の「クシティガルバ棟」と称する教団施設においてサリンの生成実験を開始し、同年一一月ころまでには量産可能な五工程からなるサリンの生成方法を確立し、サリンの標準サンプル約二〇グラムの生成に成功した。

そして、Jは、Dが指名したHを協力者兼救護担当者として、出家信者のB5、B6びWを補助者としてサリン生成作業を続け、同年一一月中旬ころには約六〇〇グラム、同年一二月中旬ころには約三キログラムのサリンを生成した。さらに、平成六年二月中旬ころには、上九一色村所在のクシティガルバ棟及び「第七サティアン」と称する教団施設において、反応釜を使用して製作したミニプラントにより、サリン約三〇キログラム(純度約七〇パーセント)を生成した。

4 第七サティアンのサリンプラント建設

乙川は、Dらとともに、Cらによって平成五年九月ころに完成された第七サティアンにおいて、サリンの大量生産のためのプラントを建設し、サリン約七〇トンを製造してこれをヘリコプターで空中から散布して大量殺りくを行うことを企て、出家信者のF3にプラントの設計をさせ、Cには旧ソ連製ヘリコプターの調達交渉を行わせるなどした。右サリンプラントの建設は、平成六年春ころから本格化した。

5 宗教団体幹部に対する襲撃

乙川は、平成五年一一月中旬ころ及び同年一二月中旬ころの二回にわたり、Dらに対し、教団が敵視していた宗教団体の最高幹部をサリンを噴霧する方法で襲撃することを命じ、D及びGらが噴霧器を搭載した自動車を使用してこれを敢行したが、いずれも失敗に終わり、かえって、二回目の失敗の際には、自動車を運転していたGがサリン中毒により死亡寸前の状態に陥った。

五  被告人の教団における活動

1 被告人は、教団入信後、次第に教団での修行に没頭するようになり、教団幹部のPから説得を受けて昭和六三年一二月に出家した。被告人は、出家後、主として電気関係のワークや支部活動、乙川の警備等を行い、その傍ら後記2のとおり各種の違法活動等に従事した。他方、被告人は、教団内での修行を続け、平成元年一二月ころには、「ラージャ・ヨーガ」という修行段階の成就が認められ、乙川から「イシディンナ」という「ホーリーネーム」を与えられ、平成四年二月ころには、「クンダリーニ・ヨーガ」の成就を認められて「師」の肩書を与えられ、その後、教団横浜支部長や大阪支部長を勤めるなどした後、平成六年六月の省庁制導入の際にはDが大臣を務める「科学技術省」の次官になり、同時にステージの名称変更により「菩師長」(「尊師」乙川、「正大師」「正悟師」に次ぐ幹部的地位)の肩書が与えられた。

2 被告人が平成六年六月ころまでに従事した主な違法活動等は次のとおりである。

(一) 前記三3の平成二年二月の衆議院議員選挙の際には、乙川が立候補した選挙区において、Cがリーダーとなった「ふくろう部隊」に所属し、Iらとともに、対立候補のポスターをはがしたり、対立候補宅に盗聴器を仕掛けて盗聴を行ったり、住民票の不正移転を行うなどした。

(二) 平成二年のボツリヌス菌散布計画(前記三4(一)参照)の際には、「石垣島セミナー」に参加せずに富士宮市所在の教団富士山総本部に残り、除菌設備付きシェルターの製作作業等に従事した。

(三) 前記(一)のころから平成六年ころまで、教団の盗聴・諜報活動の中心メンバーとして、UやIらとともに①「被害者の会」のメンバーの自宅等の盗聴、②波野村の土地売買にかかる盗聴、③他の宗教団体最高幹部(前記四5参照)の動向調査のための盗聴、④脱退・逃亡信者の追跡、連れ戻し、実家等の盗聴等に従事した。被告人が関与した追跡、連れ戻し等の対象者には、後に教団幹部となった者もいる(y(平成二年四月ころ)、J(平成三年七月ころ)、R(平成五年二月ころ)等)。被告人は、これら違法活動等を教団本部等で電気関係のワークや教団支部での信者獲得活動等に従事する合間に敢行していた。

(四) 大阪支部長時代に在家信者から改造けん銃を入手したほか、平成六年二月の中国ツアーから帰国した後に、乙川の命で、Uとともに沖縄において米軍の武器の廃品を買い集めたりして、教団の武器調達のための活動をした上、前記三4(四)のロシア射撃ツアーや軍事キャンプにも参加した。

(五) 平成六年四月ころからは、Dの命により第七サティアンのサリンプラントにおける電気配線工事等に従事した。

(第一の犯行=松本サリン事件=に至る経緯)

一  教団松本支部の開設と民事紛争

教団では、平成三年ころ、長野県松本市内に松本支部を建設することを企て、国土利用計画法上の知事への届出義務を免れ、かつ、教団が直接の契約当事者となることを避けるための工作を行った上で、建設予定地を売買及び賃貸借によって取得したが、教団の進出計画を知った地元住民から激しい反対運動を受けた。そして、教団側と地主側で互いに仮処分を申立てるなどして争い、平成四年五月には、地主側が、教団を相手取って長野地方裁判所松本支部に右土地の明渡訴訟を提起した。右民事訴訟において、地主側は、教団が反社会的宗教集団であるなどと主張し、一方、教団側は、右反対運動が一部左翼勢力に利用された運動であるなどと主張した。そして、右民事訴訟は、平成六年五月に結審し、同年七月に判決言渡が予定されていた。

なお、このころ、乙川は、説法等において、周辺住民や裁判所等、教団に敵対する者には将来恐るべき危害が加えられるであろうなどと述べていた。

二  犯行謀議の状況等

乙川は、教団におけるサリンの生成が進捗しつつあったので、かねてからこれを実際に住宅密集地等に散布してその殺傷能力を試そうとしていたところ、折しも前記訴訟を担当していた教団出家信者で弁護士のAから、前記民事訴訟について敗訴の可能性が高い旨報告されていたことから、右裁判を妨害する目的で、クシティガルバ棟に保管されていたサリン約三〇キログラム(前記背景事情四3参照)を使用して、これを前記裁判所を狙って散布することにした。

そして、乙川は、平成六年六月二〇日ころ、上九一色村所在の「第六サティアン」と呼ばれる教団施設にある自室に、D、H、G、Kらを呼び出し、「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて、実際に効くかどうかやってみろ。」と命じた。散布方法については、Dの提案により、バッテリーを電源としたヒーターでサリンを加熱気化させ、これを大型送風扇により噴霧する方式の噴霧装置を設置した自動車(加熱式噴霧車)によることとし、実行メンバーについては、前記四名の外、乙川の指名で警護役としてL及びIが加えられた。

三  噴霧車製作の指示状況

右を受けて、Dは、前記同日ころ、教団科学技術省の前身である「真理科学研究所」に所属する出家信者のN、c、z、e、fらに対し、前記加熱式噴霧車の製作を指示した。その後、被告人は、Dからfの手伝いをするように指示を受けた。

(犯罪事実第一=松本サリン事件=平成九年一二月二日付け訴因変更請求書による変更後の同年一月一四日付け追起訴状記載の公訴事実)

被告人は、乙川次郎こと乙川次郎並びにD、G、K、H、L及びIらが共謀の上、サリンを発散させて不特定多数の者を殺害しようと企て、平成六年六月二七日午後一〇時四〇分ころ、長野県松本市北深志<番地略>所在の駐車場において、サリンを充填した加熱式噴霧器を設置した普通貨物自動車を同所に駐車させ、右加熱式噴霧器を作動させてサリンを加熱・気化させた上、同噴霧器の大型送風扇を用いてこれを周辺に発散させ、別表1のとおり、同市北深志<番地略>○○ハイツ二〇四号室などにおいて、伊藤某(当時二六歳)外六名をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同月二八日午前零時一五分ころから午前四時二〇分ころまでの間、右○○ハイツ二〇四号室ほか六か所において、サリン中毒により右伊藤外六名を死亡させて殺害するとともに、別表2記載のとおり、同市北深志<番地略>河野某方などにおいて、河野某女(当時四六歳)ほか三名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった際、同月二〇日ころから同月二七日までの間、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一二サティアンと称する教団施設等において、乙川らの右犯行に用いられるものであることを知りながら、N、e、z、c、fらと共謀の上、普通貨物自動車の荷台に送風扇、ヒーター内蔵の銅製容器、バッテリー等を設置し、これらの電気配線を行うなどしてサリン発散用の前記加熱式噴霧器設置車両一台を製作するなどし、もって、前記犯行を容易ならしめて、これを幇助したものである。

(第二の犯行=地下鉄サリン事件=に至る経緯)

一  教団に対する強制捜査の危惧

1 判示第一の犯行(松本サリン事件)の後、第七サティアンの周辺で異臭騒ぎがあり、教団がサリン原料を大量に購入していたこと等を報じた新聞記事が出るなどしていたところ、平成七年一月一日には、上九一色村でサリン残留物が検出された旨新聞で大きく報じられた。そこで、警察による強制捜査を恐れた乙川の命を受けたDの指示により、第七サティアンのサリンプラントが一部解体されて神殿に改造され、また、J及びHらにより貯蔵中のサリンやサリンの中間生成物が処分された。

なお、右サリン等の処分の際、Hは、サリンの中間生成物であるメチルホスホン酸ジフロライドの入った容器を処分せずに隠匿していた。

2 その後、乙川は、平成七年二月二八日に、UやHらに命じていわゆる目黒公証役場事務長拉致事件を実行させたものの、同年三月には、マスコミの報道で教団の関与が疑われるに至った。乙川は、このような状況の中で、教団に対して警察の大規模な強制捜査が実施されるのではないかという危惧をそれまで以上に強く抱くようになった。

二  乙川らによる謀議状況

右の状況の中で、平成七年三月一八日未明ころ、東京都内の教団経営の飲食店における会合から上九一色村へ向かう途中のリムジン車内で、乙川が、同乗していたD、Uら教団幹部に対し、教団に対する強制捜査の実施可能性を尋ねたところ、同人らが強制捜査が入る可能性は高いと答えたので、乙川は、それに応じて、強制捜査を阻止するためには何をすればよいかについて意見を求めると、Dが「地下鉄にサリンをまいたらどうでしょう。」などと答え、これに乙川が呼応し、同乗していた教団幹部のKにサリンが生成可能であることを確認した上で、Dに対し、同人の総指揮の下で地下鉄電車内にサリンを散布することを命じ、その実行役として、Dが科学技術省次官であった被告人、同Q、同S、同Vの名を挙げるや、乙川は、これに治療省大臣のOを加え、右五名を実行役として指名した。

三  被告人ら実行犯における謀議の状況等

1 Dは、同日早朝ころ、被告人、O、S、Vを自室に呼び、乙川からの命令であることを示しながら、警察による教団への強制捜査を阻止するために東京の地下鉄電車内にサリンを散布することを指示し、被告人らは四名ともこれを承諾した。引き続いてDは、同月二〇日朝の通勤時間帯に、霞が関周辺を狙ってサリンを散布することを指示した後、サリンの散布方法について、乙川の出したアイデア等も挙げながら話し合ったが、結論には至らなかった。

同日午後、Uが被告人の部屋を訪れた際、両者の間で、サリン散布の実行に伴う自動車の手配及び運転手役についての話が交わされ、具体的な運転手候補として、R、W及びXの三名の名が挙がった。

同日夕刻、被告人、S、V、UらがDの部屋に集まり、Uが用意した地下鉄路線図等を見ながら、警視庁等の官庁が集中する場所にある帝都高速度交通営団地下鉄(以下「営団地下鉄」という。)霞ヶ関駅を通る日比谷線、丸ノ内線及び千代田線の三路線の五つの電車にサリンを散布すること、通勤時間帯を狙って午前八時に霞ヶ関駅の数駅手前で一斉に散布すること、各路線の乗降車駅や何両目にサリンを散布するか等について打ち合わせた。また、被告人とUが、サリン散布の実行者を確実に送迎するための自動車とその運転手も必要である旨提案し、運転手の候補として、R、W及びXを挙げたところ、Dも最終的にはこれに賛成し、運転手役の人選について乙川の指示を仰ぐ旨述べた。なお、サリン散布の方法については、Dにおいて、SとVに引き続き検討するよう指示した。

その後、Dは、同日夜、Qを自室に呼び出し、同人にも地下鉄電車内にサリンを散布してもらう旨告げて、同人の承諾を得た上、他の実行役と連絡を取るように指示し、同人は、S及びVらと会って、Dの前記指示内容を確認した。

2 同月一九日朝、被告人、Q、S、Vらは、Dの指示により犯行予定現場の下見に赴くことになり、被告人が誘ったR、W、Xらとともに、二台の自動車に分乗して上九一色村の教団施設を出発し、教団がアジトとして使用していた東京都杉並区今川<番地略>所在の民家(以下「杉並アジト」という。)に到着した後、サリン散布実行の際の乗降車駅、乗車位置、各実行役の担当路線及び実行役と運転手役との組み合わせ等について打ち合わせた。その後、実行役が使用する変装用のかつら、眼鏡、衣類等を購入したり、利用予定の地下鉄の駅を下見するなどして、右杉並アジトに戻った。

一方、D及びUが、同日昼ころ、上九一色村の「第六サティアン」と称する教団施設の一階にある乙川の部屋に赴いて、サリン散布の実行役を送迎する自動車の運転手役の選定を仰いだところ、乙川は、教団自治省大臣のG、教団自治省に所属し乙川の運転手を務めているa及びb、同じく教団自治省に所属し乙川の運転手を務めたことのあるR、教団諜報省に所属するZの五名を挙げ、さらに、実行役と運転手役のペアの組み合わせを、被告人とR、QとZ、Sとa、OとG、Vとiとするよう命じた。

これに応じて、DとUは、実行役と運転手役の集合場所を、教団諜報省がアジトとして使用していた東京都渋谷区宇田川町<番地略>××四〇九号室(以下「渋谷アジト」という。)に決め、各実行役及び運転手役にこれを連絡することとした。Uは、杉並アジトに赴き、前記七名及び後で合流したZに対し、運転手役が前記五名になったことを伝えた上、W、X以外の者に対して、渋谷アジトに移動するよう指示した。

3 同日午後九時過ぎころ、本件実行役及び運転手役、そしてUの計一一名が渋谷アジトに集結すると、Uは、実行役及び運転手役をその周りに集め、実行役と運転手役の組み合わせが乙川の指示により前記のとおり決定したこと、実行役の散布する一人あたりのサリンの量が当初の予定より増えたこと等を伝えるとともに、Uの持参した地下鉄路線図等を見せながら、サリンの散布は霞ヶ関駅を利用する乗客を狙って午前八時に一斉に行い、霞ヶ関駅の手前の駅で降車する直前に行うこと、各ペアの担当路線、実行役の乗降車駅、乗車する車両等を最終的に確認した上、運転手役に対しては、緊急連絡先としてUの携帯電話の番号を教えるなどした。

その後、実行役及び運転手役は、それぞれ乗降車駅の下見に行き、再度渋谷アジトに戻った。そして、Uは、犯行に使用する自動車の調達の手配がまだできていなかった二台分についてGと相談した上、出家信者からこれを調達し、さらに、被告人、Z、b及びRらに対し、既に依頼してあった在家信者のところへ自動車三台を引き取りに行かせ、その後一人で上九一色村へ戻った。

四  本件サリンの生成

Dは、同月一八日ころ、Hに対し、地下鉄電車内にサリンを散布することになったので、Kと協力して、Hが隠匿していたサリンの中間生成物であるメチルホスホン酸ジフロライド(前記一1参照)を使ってサリンを生成するよう指示し、HはKが研究施設として使用していた上九一色村所在の「ジーヴァカ棟」と称する教団施設に行き、既にDから指示を受けていたKに対し、右メチルホスホン酸ジフロライドの入った容器を手渡した。また、そのころ、Kは、乙川の部屋において、乙川からサリンを生成するよう直接指示され、翌一九日昼ころにも、乙川から、サリンを「早く作れ。」「今日中に作れ。」などと指示された。

これを受けて、HとKは、Jからメチルホスホン酸ジフロライドを使ってサリンを生成する方法について教示を受けた後、ジーヴァカ棟の実験室において、Jの助言を得ながら、Kの部下である出家信者らに補助をさせてサリンの生成を開始し、同日夜までに約三〇パーセントのサリンを含有する約五ないし六リットルのサリン混合液を生成した。そしてKは、乙川及びDに対し生成したサリンを混合液の状態から分留するとさらに半日以上かかる旨報告したところ、乙川は混合液のままでよい旨指示した。

H及びKらは、Dの指示を受けて、右サリン混合液を入れる袋を製作することとし、あらかじめ購入してあったナイロン・ポリエチレン袋を、ジーヴァカ棟に備え付けられていたシーラーと呼ばれる圧着機を使って加工し、約二〇センチメートル四方のナイロン・ポリエチレン袋(以下、便宜上「ビニール袋」という。)を作った上、これに右サリン混合液を注入して注入口を右シーラーで閉じて、一一個のサリン入りビニール袋を完成させ、さらに、それらをいずれも二重袋にして、箱に収納した。

五  犯行の予行演習とサリンの授受

被告人は、同月二〇日午前一時ころ、Dから、サリンを引き渡すので、実行役全員は上九一色村の第七サティアンに来るよう指示されたが、Uが来るのを待つ旨告げて一旦電話を切った。しかし、その後、再度Dから電話を受け、右同様の指示を厳しい口調で受けたので、これに従うことにした。そして、被告人ら実行役五名は、R及びbの運転する二台の自動車に分乗して渋谷アジトを出発し、急いで第七サティアンに向かった。

Dは右指示をした後、乙川の部屋へ行ったが、その際、Kが前記サリン入りビニール袋を入れた箱を持ってきたので、乙川は、その箱の底に手を触れて瞑想し、サリンに宗教上の意味合いを持たせる「修法」と称する儀式を行った。

その後、Dは、Uに対し、サリン散布の方法については、サリン入りビニール袋を先を尖らせた傘で刺して突き破ることにする旨述べ、そのための傘の購入を指示した。Uは、これに応じて富士宮市内のコンビニエンスストアでビニール傘七本を購入してDに渡し、Dは、F3に指示して、それらの先端の金具部分をグラインダーで削って尖らせた。

同日午前三時ころ、実行役五名が第七サティアンに到着すると、Dは、サリン散布を右のような方法で行う旨告げ、実行役らに対して、水を入れたビニール袋を先端を尖らせたビニール傘で刺すなどさせて、犯行の予行演習を行わせた。その結果、ビニール袋をむき出しにしていると地下鉄の乗客に怪しまれること及びサリンが急速に流出するとサリン散布の実行役が中毒に陥るおそれがあることから、ビニール袋を新聞紙で包むことにした。その上で、Dは、実行役らに対し、「サリン入りビニール袋が一一袋あるので、実行役の一人には三袋を引き受けてもらうことになるが、誰が引き受けてくれるか。」と尋ねたところ、しばらくの沈黙の後に、被告人がこれを引き受ける旨申し出た。そこで、Dは、被告人に対しては、右サリン入りビニール袋三袋、他の実行役に対しては、同袋二袋を割り当て、また、各実行役に対し、ビニール傘一本を渡すとともに、サリン入りビニール袋は二重袋になっているので実行の際には外袋を外すこと、ビニール袋を包む新聞紙は全国紙を使うこと、ビニール傘でビニール袋を突き刺す際には息を止めること、実行に使用したビニール傘は直ちに水洗いした後処分すること等を指示した。さらに、Kが、各実行役に対しサリン中毒の予防のためのメスチノン錠剤を渡した。実行役らは、その後、直ちに前記自動車に分乗して渋谷アジトに戻った。

六  犯行直前の準備等

実行役五名は、同日午前五時ころ第七サティアンから渋谷アジトに戻った後、前記Kから渡された錠剤を服用し、また、Oが他の実行役にサリン中毒の治療薬である硫酸アトロピン入りの注射器を渡すなどの準備を行い、各実行役間でサリン入りビニール袋を分配した。なお、右ビニール袋のうちの一つについて、二重袋のうちの中袋からサリンが漏れているのが発見され、被告人が自らこれを受け取った。

各実行役は、午前六時ころ、ペアを組む各運転手役の運転する自動車に乗車して、相前後して同所を出発し、各担当路線の乗車駅に向かった。

(犯罪事実第二=地下鉄サリン事件=平成九年六月二六日付け及び同年一二月二日付け各訴因変更請求書による変更後の平成八年一二月二四日付け起訴状記載の公訴事実)

被告人は、乙川二郎こと乙川次郎並びにD、U、K、J、H、Q、S、O、V、R、Z、a、G及びbらと共謀の上、いずれも東京都千代田区霞が関<番地略>所在の営団地下鉄霞ヶ関駅に停車する同日比谷線、同千代田線、同丸ノ内線の各電車内等にサリンを発散させて不特定多数の乗客等を殺害しようと企て、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の「ジーヴァカ棟」と称する教団施設内においてサリンを生成した上、

一  R運転の自動車で送られた被告人が、平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田佐久間町<番地略>所在の営団地下鉄日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住発中目黒行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋三個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右秋葉原駅から同都中央区築地<番地略>所在の同線築地駅に至る間の同電車内又は各停車駅構内において、別表3番号1ないし8記載のとおり、岩田某(当時三三歳)ほか七名をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前八時五分ころから平成八年六月一一日午前一〇時四〇分ころまでの間、同区日本橋小伝馬町<番地略>所在の同線小伝馬町駅構内ほか七か所において、別表3番号1ないし7記載の右岩田ほか六名をサリン中毒により、同番号8記載の岡田某(当時五一歳)をサリン中毒に起因する敗血症により、それぞれ死亡させて殺害するとともに、別表4番号1ないし3記載のとおり、児玉某(当時三五歳)ほか二名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

二  Z運転の自動車で送られたQが、平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都渋谷区恵比寿南<番地略>所在の営団地下鉄日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒発東武動物公園行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右恵比寿駅から前記霞ヶ関駅に至る間の同電車内において、別表3番号9記載のとおり、渡邉某(当時九二歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前八時一一分すぎころ、同都港区虎ノ門<番地略>所在の同線神谷町駅構内において、サリン中毒により同人を死亡させて殺害するとともに、別表4番号4及び5記載のとおり、尾山某(当時六一歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

三  a運転の自動車で送られたSが、同月二〇日午前八時ころ、東京都文京区湯島<番地略>所在の営団地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋発荻窪行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右御茶ノ水駅から同都中野区中央<番地略>所在の同線中野坂上駅に至る間の同電車内又は右中野坂上駅構内において、別表3番号10記載のとおり、中越某(当時五四歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同月二一日午前六時三五分ころ、同都新宿区河田町<番地略>所在の東京女子医科大学病院において、サリン中毒により同人を死亡させて殺害するとともに、別表4番号6ないし8記載のとおり、浅川某(当時三一歳)ほか二名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

四  G運転の自動車で送られたOが、同月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田駿河台<番地略>先所在の営団地下鉄千代田線新御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子発代々木上原行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右新御茶ノ水駅から同区永田町<番地略>所在の同線国会議事堂前駅に至る間の同電車内又は前記霞ヶ関駅構内において、別表3番号11及び12記載のとおり、高橋某(当時五〇歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前九時二三分ころから同月二一日午前四時四六分ころまでの間、同区内幸町<番地略>所在の浩邦会日比谷病院ほか一か所において、サリン中毒により右高橋ほか一名を死亡させて殺害するとともに、別表4番号9及び10記載のとおり、斉藤某(当時二五歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

五  b運転の自動車で送られたVが、同月二〇日午前八時ころ、東京都新宿区四谷<番地略>所在の営団地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅直前付近を走行中の荻窪発池袋行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右四ツ谷駅から同線池袋駅で折り返した後前記霞ヶ関駅に至る間の同電車内において、別表4番号11ないし14記載のとおり、古川某(当時三七歳)ほか三名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった

ものである。

(第三の犯行=新宿駅青酸ガス事件=に至る経緯)

一  薬品類の隠匿等

教団では、平成七年三月中旬ころ、強制捜査が入るとの情報が流れたため、乙川の意を受けたDの指示により、Qらが、教団で製造保管されていた自動小銃部品等を、教団が賃借した神奈川県相模原市内の倉庫に運び込んだが、その際、Jが上九一色村の教団施設から持ち出したシアン化ナトリウム等の薬品類も一緒に運び込まれていた。

その後、判示第二の犯行(地下鉄サリン事件)の後の同年三月二二日、上九一色村等の教団施設に対する大規模な強制捜査が開始されたため、Dは、同年四月初めころ、Uらに対し、前記相模原市内の倉庫に保管してあった物品の処分を指示した。被告人は、判示第二の犯行の直後である同月二一日に、Dの指示で、他の教団幹部らとともに、上九一色村の教団施設から脱出し、同月二二日からは、Uらとともに埼玉県川越市内のウィークリーマンションに潜伏していたところ、Dの前記物品の処分の指示を受け、同年四月三日、U、Hのほか、Uの部下であるk、被告人の部下であるn及びmらとともに、前記各物品を相模原市内の倉庫から教団の関連会社の名義で賃借した埼玉県熊谷市内の倉庫に移動させた。

その後、被告人及びUらは、小銃部品等大部分を廃棄処分したが、前記シアン化ナトリウム等の薬品類については、後日の使用に備え、これを廃棄せず別途隠匿することとし、同月五日ころ及び八日ころ、U、H、Q、k、n、mらとともに、右薬品類を栃木県日光市細尾町字馬道地内の日光山中に埋めて隠匿した。

二  乙川逮捕阻止のための無差別テロの検討

1 前記強制捜査開始後、乙川の意を受けたDは、QやHに対し、教団への捜査の矛先をそらし、乙川の逮捕を防ぐために、捜査をかく乱するテロ活動を行うよう指示し、一方、Uは、かねて乙川から示唆されていた石油コンビナートの爆破等の可能性を探るため、kに必要な調査をさせていた。そして、平成七年四月一一日ころ、Dは、東京都港区南青山所在の教団東京総本部において、U及びHに対し、「捜査をかく乱し、尊師の逮捕を防ぐため、できることは何でもしろ。」と重ねて指示した。その際、Dが気化爆弾を爆発させるよう言ったところ、Hは、青酸ガス(シアン化水素ガス)を使用したテロであれば比較的簡単にできる旨提案した。

被告人は、右同日ころ、U、H、Q、S、V、k、N、n、mらとともに、教団幹部のoが教団のダミー会社名義で賃借した東京都杉並区西荻南<番地略>所在の家屋(以下「西荻アジト」という。)に移動していたが、同月一二日ころ、同所において、Q、S、V、Nらとともに、U及びHからDの前記指示を聞くとともに、捜査かく乱のためのテロの方法を話し合った。使用するものとしては、青酸ガス、肥料爆弾、ダイオキシン等が候補に上ったが、結局Hの意見によりダイオキシンを使用することにした。

2 Uは、同月一六日、第六サティアンにある乙川の部屋に赴き、指示を仰いだところ、乙川から、「なぜ自衛隊を使ったクーデターをやらないのか。」「四月三〇日までにとにかく捜査をかく乱しろ。ミサイルか何かで石油コンビナートを爆破したらいいんじゃないか。」などと言われて、捜査かく乱のためのテロ活動を同月三〇日までに行うよう命じられた。

その後Uは、同月一七日、西荻アジトにおいて、被告人らに対し、乙川からの前記命令を伝えた。そして、乙川の指示により、N、S、Vの三名が上九一色村の教団施設に戻ることになり、右テロ活動は、被告人、U、H、Q及びkらで行うこととなった。

3 その後、同月一八日ころに、U、H、Q及びkは、東京都八王子市中野上町<番地略>△△三〇一号室(以下「八王子アジト」という。)に、被告人は、n及びmとともに、東京都杉並区永福町<番地略>所在の民家(以下「永福アジト」という。)にそれぞれ移った。被告人は、八王子アジトをしばしば訪れ、U、Hらとともにテロ活動の方法について謀議を重ねた。

右謀議においては、石油コンビナート、貨物列車、ガスタンク等の爆破や、東京都内の霞が関官庁街、築地市場近辺、兜町等へのダイオキシンの散布について検討がなされ、これに伴い、出家信者のB4らにダイオキシン生成に関する文献等を調査させたり、出家信者のB2にクシティガルバ棟内にある濃硫酸等の薬品を八王子アジトに持ってこさせたりした。被告人は、右謀議に基づき、Uの指示により、川崎市内の石油コンビナートや日比谷公園、築地市場等を下見するなどした。

同月二三日、教団東京総本部前において、Dが暴漢に包丁で刺され、翌二四日未明に死亡した。そこでUは、oを介して当初の乙川のテロ計画に変更がないかを確認したが、乙川の意思に変化はないとのことであった。そこで、同月二五日から二六日ころ、被告人、U、H、Q及びkの五名(以下、本節においては、このメンバーを指して「被告人ら五名」という。)は、八王子アジトにおいて、再度捜査かく乱のためのテロ活動の方法について話し合い、石油コンビナート等の爆破やダイオキシンの散布は同月三〇日までに行うのが困難であると判断し、これに応じてHが「一番簡単なのは青酸ガスだ。」などと発言したことから、結局、青酸ガスを使用したテロ行為を行うことに決定した。

三  犯行準備状況及び二度の失敗

1 前記謀議成立の後、H及びQらは、青酸ガスを発生させる方法として、希硫酸とシアン化ナトリウムを時限発火装置により直接反応させる方法をとることとし、八王子アジトにおいて、青酸ガスの時限式発生装置の開発のために実験を繰り返した。また、被告人は、同装置を仕掛けるべき場所として候補に挙がった新宿区歌舞伎町地内の映画館、ディスコ等を下見した。

また、被告人ら五名は、前記日光山中に隠匿していたシアン化ナトリウム(前記一参照)を、一緒に隠匿作業を行ったn及びmに掘り出させることとし、Uの部下のpに右両名の自動車による送迎を行わせることとした。そこで、被告人は、同月二七日午前、Hとともに、永福アジトにおいて、n及びmに対し、日光山中からシアン化ナトリウム三本(一本が約五〇〇グラムでプラスチック容器入りのもの)を掘り出してくるよう指示し、一方、Uは、東京都八王子市諏訪町<番地略>○×一〇三号室において、pにnらを自動車で送迎するよう指示し、さらに、同日夜、被告人が、右○×に集結したn、m及びpの三名に対し、重ねて前記任務を遂行するよう指示した。

n及びmは、同月二八日午後二時ころ、p運転の自動車で前記○×を出発し、同日午後一一時ころ、前記日光山中の隠匿場所に到着し、被告人らの指示どおりにシアン化ナトリウム三本を掘り出した上、同じくp運転の自動車で八王子アジトに向かった。しかし、被告人は、そのころoの部下が逮捕されたとの情報を得ていたため、八王子アジトが警察に発覚した恐れがあると考え、同月二九日未明、八王子アジトに向かいつつあったnをポケットベルで呼び出した上、電話で同人に対し右シアン化ナトリウムを八王子アジトではなく永福アジトに持って行くよう指示し、mがシアン化ナトリウムを持って、同日午前一〇時ころ永福アジトに到着し、シアン化ナトリウムは同アジトで保管された。

2 右同日、永福アジトにおいて、被告人ら五名は、青酸ガス発生装置の設置場所を新宿駅地下街のトイレとし、被告人を仕掛け役とする旨決定した。その後、前記oの部下が逮捕されたとの情報は誤報と判明したので、同日夜にU、k、H及びQらが八王子アジトに戻り、H及びQは同アジトで同装置の実験を再開した。一方、被告人は、pを連れて再度新宿駅地下街のトイレの下見をするなどした。

3 被告人は、テロ実行の日とされていた同月三〇日の午後一時ころ、青酸ガス発生装置を受け取るため、前記シアン化ナトリウムをmに持たせて、同人と二人で八王子アジトに赴き、H及びQは、被告人らが持参した右シアン化ナトリウムのうちの約一〇〇グラムを用いて、時限式青酸ガス発生装置を完成させた。そして、被告人は、右装置を持って同アジトを出発し、新宿区西口地下の男子公衆便所に赴き、右装置を仕掛けたが、Hが装置に使用する薬品を間違えていたため、青酸ガスの発生に至らず、失敗に終わった。

4 被告人ら五名は、同年五月一日ないし二日ころ、八王子アジトにおいて、再度新宿駅地下街のトイレに青酸ガス発生装置を仕掛けることとした。そこで、H及びQが同日から同月三日午前にかけて、再度同装置を製作したが、それは、前のものと異なり、濃硫酸等を使用した時限式発火装置により希硫酸を入れた袋を破損させて、流出した希硫酸とシアン化ナトリウムとを反応させ、青酸ガスを発生させるという仕組みのものであり、同アジトにあったシアン化ナトリウムの全量約一四九七グラムを使用するものであった。そして、装置の仕組みが複雑であったため、製作者であるH本人が仕掛けることとし、被告人が現場での見張り役を務めることになった。

Hは、同月三日正午前ころ、pとともに八王子アジトを出発し、永福アジトで被告人及びmと合流して四名で新宿に向かい、午後四時ころに新宿駅に到着し、そこでp及びmを帰した後、被告人とHで、新宿駅東口地下街の公衆便所に向かい、そこで、被告人の見張りの下にHが同装置を仕掛けようとしたが、人通りが多かったこと等から、これを断念した。

四  本件犯行直前の状況

1 被告人ら五名は、同月四日、八王子アジトにおいて、更に青酸ガスによるテロ行為の方法を検討し、同じ場所に仕掛けるのは危険であると考えて、新宿駅地下街にある営団地下鉄丸ノ内線新宿駅東改札口近くの公衆便所(以下「本件トイレ」という。)に青酸ガス発生装置を仕掛けることとした。同装置の仕組みは、前回と同様に時限式発火装置を使用したものとし、シアン化ナトリウムの量も前回と同じく全量の約一四九七グラムを使用することとした。

また、被告人らは、前記青酸ガス発生装置が清掃により撤去されることを恐れ、本件トイレの清掃が終了していることをkに確認させてから、右装置を仕掛けることにし、被告人がkに対し、実行日たる同月五日に本件トイレの清掃の終了を確認し、かつ、実行者たるHらが右装置を設置した後に迅速に逃走できるように、新宿駅から永福町方面に向かうバスの出発時刻及び乗車場所を調査し、同日午後三時に新宿駅東口近くの喫茶店でこれを報告するよう指示した。また、被告人は、kからの報告をnを介して受けようと考え、右kへの指示の後、nに対し、同月五日午後に新宿へ行きkと連絡を取るよう指示した。

2 Hは、同月五日午前中、希硫酸、発火剤入りの段ボール小箱、濃硫酸、シアン化ナトリウム等を入れたアタッシュケースを持ち、Uの指示によりアベックを装うために同行したtと八王子アジトを出発した。そして、被告人は、同日正午ころ、永福アジトにおいて、H及びtと合流し、希硫酸をビニール袋に入れるなどした上、同日午後三時三〇分ころ、被告人とHの二名で同アジトを出発し、バスで新宿駅に向かい、午後四時ころ同駅に到着した。

一方、kは、同日午前一〇時ないし午前一一時ころと午後二時ころの二回にわたり新宿駅に行き、被告人の指示どおり、本件トイレの清掃が終了したこと及びバスの発車時刻等を確認した上、同日午後三時ころ、新宿区新宿<番地略>KEIビル二階「珈琲館」新宿東口店でnと会って右事項を報告した。nは、その直後ころ、新宿区新宿<番地略>紀伊国屋ビル紀伊国屋書店本店裏側出入口前歩道上で、被告人に右報告内容を伝えた。そして、被告人は、これを同所付近でHに伝え、同人と二人で本件トイレに向かった。

(犯罪事実第三=新宿駅青酸ガス事件=平成九年二月七日付け追起訴状記載の公訴事実)

被告人は、U、H、Q及びkらと共謀の上、繁華街の公衆便所内にシアン化水素ガス発生装置を仕掛け、同ガスによりその公衆便所内の利用者等を殺害しようと企て、平成七年五月五日午後四時五〇分ころ、東京都新宿区西新宿一丁目西口地下街一号営団地下鉄新宿駅東口脇男子公衆便所において、同所備え付けのゴミ容器内に、シアン化ナトリウム約一四九七グラムと共に濃硫酸入りペットボトルと発火剤として塩素酸カリウム等を充填した段ボール小箱在中の時限式発火装置を入れたビニール袋一個を置き、その上に希硫酸約一四一〇ミリリットル在中のビニール袋一個を乗せ、時間の経過により、右発火剤が右ペットボトルから溶け出した濃硫酸と化学反応を起こして発火し、両袋を燃焼・破損させて右希硫酸と右シアン化ナトリウムを反応させてシアン化水素ガスを発生させるよう仕掛けを施してこれらを設置したが、同日午後七時三〇分ころ、右発火装置からの発火を目撃した者の通報により現場に臨場した同駅職員に直ちに消火されたため、シアン化水素ガスを発生させるに至らず、右殺害の目的を遂げなかったものである。

【証拠】<省略>

【争点に対する判断】

一  判示第一の事実(松本サリン事件)の故意について

1  弁護人は、判示第一の事実について、被告人が本件加熱式噴霧器設置車両(以下「本件噴霧車」ともいう。)の製作に関与したという外形的事実は認めるが、その製作当時、右車両がサリンを噴霧して人を殺害する目的で使用されることを認識していなかったのであるから、幇助の故意を欠き無罪である旨主張し、被告人も大要これに沿う供述をしている。

2  判示背景事情及び第一の犯行に至る経緯並びに関係各証拠により認められる諸事実によれば、以下の点を指摘することができる。

(一) 乙川は、「武装化路線」を本格化させた平成五年夏ころから、「ハルマゲドン」に使用される毒ガス化学兵器としてサリン、ソマン、タブン、イペリット等があること、サリンは体内物質と反応して神経系の働きを停止させて死に至らせること、教団が毒ガス攻撃を受けており、その毒ガスはサリンやイペリットであること等を内容とする説法をしており、被告人は、教団出家信者としてこれを繰り返し聞いていた。

(二) 被告人は、右(一)のころには、毒ガス攻撃に対抗するために教団においてもJが中心になってサリンを研究していることを噂として聞いており、また、平成五年末にDらがサリンを散布して他の宗教団体の最高幹部を襲撃しようとして失敗したことも他の信者から聞き知っていた。さらに、被告人は、平成六年四月ころから第七サティアンのサリンプラントにおける電気配線工事に従事するようになり、他の信者との話等によって、遅くともその約半月後には、自分が関与している作業が毒ガスであるサリンを生産するためのプラントの建設作業であることを了知した。

(三)(1) 本件噴霧車の構造は、アルミコンテナ付き普通貨物自動車のコンテナ内に、下部にパイプを取り付けたサリン貯留用のタンク三個を設置し、右パイプに遠隔操作で自動開閉が可能なエアバルブを取り付け、その開閉によりタンク内のサリンを右パイプを通してその下に設置した銅製容器内に落下させ、大型バッテリーを電源として右容器底部に挿入した棒状のヒーターで加熱してサリンを気化させた上、コンテナ内に設置した有圧換気扇(大型送風扇)を作動させて外部からコンテナ内に吸入した空気で気化したサリンを外部に押し出すというものであった。

(2) 被告人は、本件噴霧車の製作過程において、①バッテリー同士をつなぐ接続コードを作り、②大型バッテリー二五個(うち一個は有圧換気扇用、残りはヒーター用)にバッテリー液を注ぎ足した上でこれを充電し、③コンテナの荷台に設置されたL型フレームに右大型バッテリー二五個を二段にして設置し、④バッテリー同士の端子の接続作業を行い、運転席のあるキャビン背部に電気ドリルで穴を開け、それを通して遠隔装置の配線を行い、さらに、その穴にアルミテープで目張りをするという作業を行った上、⑤後記(五)のとおりの噴霧実験に立ち会い、⑥噴霧実験後に右バッテリーの再充電を行い、⑦eの依頼により、コンテナの側面に開けられていた噴霧口に取り付ける掛け金、南京錠及びシルバースプレーを購入した上、取り付けられた掛け金及び南京錠にシルバースプレーを吹き付けるなどの作業を行い、さらに、fの行ったヒーター、換気扇等の配線や、他の者の作業を手伝うなどした。

(3) 右のとおり、被告人は、本件噴霧車の製作作業のうち、電源部分の作業を主として担当し、かつ、他の者の作業も手伝っていたことに照らせば、前記(1)のとおりの本件加熱式噴霧車の全体構造について把握していたものと認められる。

(四) 本件噴霧車の製作に関与する者には、この作業が秘密のワークであることが、責任者のNから周知徹底されており、作業がなされていた期間は、作業場所であった第一二サティアンにつき作業に関与する者以外は立入禁止とされ、しかも、その出入口は常に施錠され、鍵も作業従事者しか借りられないことになっていた。

また、本件噴霧車の噴霧口に取り付けられた掛け金及び南京錠には、アルミコンテナと同じ色である銀色の塗料が吹き付けられ、遠くから見ても噴霧口の存在が分かりにくいようにされていたのであり、これは、本件噴霧車を通常の普通貨物自動車であるかのように偽装するための工作であることが明らかであるところ、右塗料の購入及び塗布に関与した被告人は、この点も認識していたものと推認される。

(五) 被告人は、平成六年六月二〇日昼ころ、上司であるDから、fの手伝いをして本件噴霧車の製作をするよう指示されたものであり、また、同月二五日ころサリンの代わりに水を加熱して噴霧する実験に立ち会った際、Nが「この中にマンジュシュリーミトラ正大師(Dのホーリーネーム)が乗って操作するんだってさ。」と言うのを聞いていた。

3  以上の事実に照らせば、被告人は、Dらから本件噴霧車の用途について具体的に知らされてはいなかったものの、サリンが極めて微量でも人が死に至る毒ガス化学兵器であり((一))、当時教団内でそのようなサリンを開発しつつあったこと((二))、本件噴霧車が液体を加熱気化させて噴霧する構造であり、しかも、噴霧する物質が運転席に流入しないような構造となっていることから、危険な物質を噴霧する性質のものであること((三))、本件噴霧車の製作が秘密のワークであり、かつ、噴霧車の外観につき偽装工作がされていたこと((四))、サリンの大量生産計画の中心人物であるDが本件噴霧車の製作を指示しており、しかもこれを操作するのもDであること((五))、以上を認識していたのであるから、被告人において、本件噴霧車がサリンを噴霧する車両であることを未必的に認識していたことが強く推認される。

4  また、被告人は、捜査段階とりわけ司法警察員調書においては、「当初は本件噴霧車の用途がよく分からず、何かを噴霧するのかなと思った程度であったが、次第に本件噴霧車の構造を認識し、さらに、噴霧実験におけるNの前記言葉により、本件噴霧車をDが自ら操作することを認識した時点では、本件噴霧車がサリン噴霧車なのではないかと思うに至った。」旨、本件幇助の故意が存したことを認める供述をしている。

被告人の司法警察員調書における供述は、前記2に挙げた個別事情についていずれもこれを認め、本件噴霧車の製作過程等について具体的詳細であるところ、これは関係各証拠から認められる本件噴霧車に関わる客観的事実や他の共犯者の供述とも符合しているのであり、右個別事情を認識した上で本件噴霧車をサリン噴霧車ではないかと認識したという推論の過程自体、当時の被告人の立場に照らして合理的といえる。これに、被告人自身、当公判廷においても、司法警察員調書の供述内容自体は正しい旨述べていることをも併せ考えれば、その信用性を肯定できる。

ところで、被告人が本件幇助の故意を認めた検察官調書は本件による逮捕後の弁解録取の際のものしかない上、被告人は、その信用性を争っている。しかし、その内容自体は、前記各司法警察員調書の内容を総合したものとほぼ符合しており、しかも、右検察官調書の作成後に作成された司法警察員調書においても、本件幇助の故意を認める供述がなされているばかりか、被告人の公判供述によれば、被告人が右検察官調書の信用性を争う理由は、本件についての取調べに先立ってなされた判示第二の事実(地下鉄サりン事件)についての検察官取調べに対する不満があるからというものであり、それ自体は、本件についての検察官調書の信用性に影響するものとは言い難いのであるから、結局、右検察官調書についても信用性を認めることができる。

5(一)  これに対し、弁護人は、①被告人は、当時の「真理科学研究所」においてDの下でワークをするにつれて、Dが何をやっても失敗する男であると評価するようになっていたのであり、同人が中心となっていた第七サティアンのサリンプラントの建設についても失敗するものと思っていたのであって、教団において本当にサリンができるとは思っていなかった、②被告人は、本件噴霧車の電気系統をともに担当したfから、本件噴霧車が教団への毒ガス攻撃に対して中和剤を噴霧するためのものであると聞いていた、③被告人において、本件噴霧車がサリン噴霧車かもしれないと思っていたとしても、被告人としては、Dのすることであるから、右噴霧車が現実に使われるとは思っていなかったなどと主張する。

(二)  「しかし、まず、①については、被告人自身、前記(二)のとおり、Jがサリンを生成・開発し、また、教団に敵対しているとされた宗教団体の最高幹部を襲撃しようとして、実際にサリンを散布したが失敗したことを聞き知っていたのであって、サリンプラントの建設の計画自体、教団のサリン生成が進捗しつつあることを前提としていたものと考えるのが合理的であることに照らせば、被告人が、教団においてサリンを生成すること自体ができないとまで考えていたというのは、不合理である。

次に、②については、仮に本件噴霧車が毒ガス攻撃への対抗策として中和剤を散布するためのものであれば、教団内において、その製作作業をあえて秘密のワークとする必要はないはずである上、本件噴霧車の運転席に散布物質が流入することを防止するよう細工を施したり、噴霧実験において水を使用する必要もないはずであり、不合理である。なお、fは検察官調書においても、当公判廷における証言においても、前同様の供述をしているが、これは、同人の認識していた客観的状況を前提としても不合理であるばかりか、同人の供述態度自体が全体として曖昧であって、信用できない。

また、③については、本件噴霧車の製作が開始された経緯として、それまでは振動子式噴霧車を先に完成させる予定であったのが、急遽加熱式噴霧車を短期間で製作するよう指示が変更された点が認められ、被告人自身このような経緯をfから聞いて認識していたのであって、そのような事情に照らせば、被告人において、当初から本件噴霧車がかなり近いうちに実際の用に供されることを認識していたと認めるのが自然である。仮に、被告人において、本件噴霧車の製作作業に関わった当初はこれが実際に使用されるかについて確信がなかったとしても、現に本件噴霧車がひとまず出来上がり、噴霧実験まで行われ、サリンプラント建設の責任者たるDがこれを操作すると聞いた後、更に自らバッテリーの再充電等の作業を行った段階においてもなお、本件噴霧車が実際に使われるとは思わなかったというのは不自然というほかない。

(三)  被告人は、当公判廷において、前記2の各個別事情についてはほぼ認めているにもかかわらず、本件幇助の故意の存在という結論のみを否定しているのであって、捜査段階の供述を変遷させるに至った合理的理由がないこと等に照らせば、捜査段階の供述内容に反する部分は信用し難い。

6  以上のとおりであるから、被告人は、本件噴霧車の噴霧実験に立ち会った平成六年六月二五日ころの時点では、本件噴霧車がサリン噴霧車であり、これが不特定多数の者を殺害する用に供されることを未必的に認識していたものと認められる。そして、本件噴霧車の製作作業は、全体として不可分のものと言えるのであり、被告人自身も、同月二〇日に同作業に関与し始めてから、その全容を次第に把握し、遅くとも噴霧実験の時点で右幇助の故意を生じさせた上で、それまでの作業の結果を前提として、更にバッテリーの再充電や、本件噴霧車の外観の隠匿工作に関与しているのであるから、被告人は、右噴霧実験に先立つ部分も含む本件噴霧車の製作作業の全体について幇助犯の刑責を負うものと言うべきである。

二  判示第二の事実(「地下鉄サリン事件」)の確定的殺意について

1  弁護人は、判示第二の事実について、被告人は、同事件で使用されたサリンの毒性についての認識が希薄であったなどとして、確定的殺意の存在を争い、被告人も一貫してこれに沿う供述をしている。

2  判示背景事情及び第二の犯行に至る経緯並びに関係各証拠により認められる諸事実によれば、本事件の殺意に関して以下の点を指摘することができる。

(一) 被告人は、前記一2(一)のとおり、乙川の説法を通じてサリンが猛毒の化学兵器であることを知っており、また、自己が製作に関与した噴霧車により松本サリン事件が起こされ、多数の死傷者が出たことを知っていたのであるから、本件当時サリンの殺傷能力が極めて高いことについて明確な認識を有していたものと認められる。

(二) 被告人は、前記一2(二)のとおり、教団においてJらがサリンを研究しているという噂を聞いており、自己もその建設に関与した第七サティアンがサリンプラントであることも他の信者の噂等により認識していたのであり、さらには、松本サリン事件に使用された噴霧車の製作に関与した際には、これがサリン噴霧車であることを未必的に認識していたところ、松本サリン事件を知った際には、Dらが教団において生成したサリンを使って噴霧したと認識したのであるから、本事件の当時においても、被告人において教団がサリンの生成能力を有していると認識していたことは優に推認できる。

(三) 被告人は、本事件において、地下鉄構内という密閉空間に猛毒のサリンを散布することを十分に認識した上で、これを承諾し、Dの指示を受けて、Uらとともに具体的な散布方法等を検討し、さらに、各実行役を送迎するための運転手役が必要である旨、Dに提案したりしている。

(四) 被告人は、本事件を実行するに際して、①渋谷アジトを出発する際、Kから渡されていたサリン中毒の予防薬であるメスチノン錠剤を服用し、②R運転の自動車を降りる際に、Rに対し、自分に万一のことがあれば、自分のコートの内ポケット内にサリンの解毒剤である硫酸アトロピン入り注射器があるから、これを注射して欲しい旨依頼し、③サリン入りビニール袋にビニール傘の先を突き刺す際には息を止め、④実行後、Dの事前の指示どおりに犯行に使用したビニール傘を先に購入していたペットボトルの水で洗浄し、さらに自らの着衣もすべて着替えるなどしているのであって、これらの行動は、サリンが高い殺傷能力を有することを認識した上で、自らがサリン中毒になることを防止するためにとった行動と認めるのが相当である。

3  右に照らせば、被告人において、サリンを散布することにより、地下鉄乗客等にこれを吸入させ、不特定多数の者を死亡させることを認識して本件に及んだことが十分に推認できる。

4(一)  これに対し、弁護人は、①被告人は、本事件の前には既にサリンが廃棄され、かつ、第七サティアンのサリンプラントの建設も中止されていたと聞いており、しかも、前記一5(一)①のとおり、Dの実践的遂行能力を信用していなかったので、サリン散布を命ぜられたとしても、Dはすぐにはサリンを用意することはできず、仮に用意できたとしても純度が低く殺傷能力が低いものにとどまると思っていた、②渋谷アジトにおけるUの指示において、散布するサリンの量が急に増えたことから、サリンの純度が薄まったものと思った、③Jが最初にサリンを生成した際に、サリンを直接吸って倒れたが、さしたる影響はなかったと聞いていたので、その程度の効果しかないと思っていた、④本事件に先立ち、Uらが営団地下鉄霞ヶ関駅において、アタッシュケースに入れた噴霧装置によるボツリヌス菌の散布を企てた際、被告人はこの事件についてサリンを散布するものと考えていたが、同事件の実行役が防毒用ゴーグル等の器具が配布されていたにもかかわらず、本事件ではそのような防毒用器具が配布されなかったので、本事件で散布されるサリンは大した毒性がないものと思った旨主張し、被告人も上申書や当公判廷における供述において、同様の内容を述べている。

(二)  しかし、そもそも、右の各主張は、大部分が上申書及び被告人の当公判廷における供述において初めて述べられた内容であって、捜査段階の供述との変遷が大きく、その変遷について何ら合理的な説明ができていない上、本件実行後に知るに至った事情をも加味して述べている疑いがある。

(三)  さらに、個々の主張をみても、いずれも不合理で採用できない。すなわち、①については、既に教団においては、松本サリン事件で使用された殺傷能力の高いサリンを生成していたのであるから、その後強制捜査を恐れて、サリンが廃棄されたり、第七サティアンのサリンプラント建設が中止されていたとしても、それだけでは教団において殺傷能力の高いサリンを生成することが不可能と判断する根拠とはなし得ない。②については、サリンの量が増えたから純度が薄まったとの理解は一面的であり、また、仮に純度が薄まったという認識があったとしても、被告人において、サリンが微量でも人を死亡させるに十分な物質であることは十分に分かっていたはずであるから、右認識の存在は、前記認定を左右するものではない。③については、Jがサリンを吸入したにもかかわらず回復した原因については全く聞いていないということになるが、これは不自然である。④については、前記アタッシュケースによる事件でサリンが散布されたと思っていたのであれば、前記①の主張と矛盾することになるばかりか、本事件では、防毒用器具ではないが、サリン中毒の予防薬及び治療薬が配布されていたのであるから、この主張も不合理である。

5  以上に照らせば、被告人が本事件を実行するに際して不特定多数の地下鉄利用者等に対する確定的殺意を有していたことは、これを優に認めることができる。

三  判示第三の事実(「新宿駅青酸ガス事件」)の確定的殺意について

1  弁護人は、本事件について、被告人の殺意は未必的であり、かつ、被害者の数は少ないと思っていた旨主張し、被告人もこれに沿う供述をしている。

2  判示第三の犯行に至る経緯及び関係各証拠により認められる諸事実に照らせば、本事件の殺意に関し以下の点を指摘することができる。

(一) 青酸ガスは、一般に猛毒として知られている「青酸カリ(ウム)」等を連想させるものであり、その高い致死性は被告人においても認識し得たものと推認できる。

(二) 本事件で仕掛けられた青酸ガス発生装置は、時限式発火装置を使用したもので、これは、実行者自身が青酸ガスを吸入することがないように考慮して製作されたものと評価でき、被告人においても、右装置が時限式であることは理解していたものと認められる。

(三) 被告人は、強い致死性を有する青酸ガスを、極めて多数の者が行き来する密閉された地下街に設置されたトイレに散布することを十分認識していた。

(四) そもそも、被告人は、U、Hら共犯者とともに、約二週間もの間、警察の強制捜査をかく乱するためのテロ活動の方法について謀議し、その過程において、石油コンビナートの爆破や猛毒のダイオキシンの散布という不特定多数の人間の殺傷に至る大規模のものを想定して検討した上、それに替わるものとして青酸ガスを使用することを決めたのであるから、青酸ガスの使用も、右に準ずる規模のテロ行為と認識していたと推認できる。

(五) もっとも、被告人は、U、Hらとともに、青酸ガス発生装置を地下街のトイレに仕掛けるに当たって、被害の程度が話題になった際、Hが「大便をしている人は、そのままの格好で死んじゃうかもしれない。」と言ったので、青酸ガス発生装置をトイレ内に仕掛ければ、大量殺人には至らないものの、もしかしたら、大便所を使用中の者のみは死んでしまうかもしれないとの認識を持った旨述べている。

なるほど、青酸ガスの散布が、石油コンビナートの爆破のような大規模なテロ行為が困難であったことから、乙川が命令した決行日である四月三〇日に間に合わせるために出された提案であったことは認められるが、そもそも、被告人、U、Hらは、当初から、石油コンビナートの爆破やダイオキシンの散布等の大規模なテロ行為を検討していたのであるから、その規模や方法を修正するにしても、一転して単にトイレ内で大便をしている者のみが被害に遭う程度の小規模のテロ行為に方針を切り換えるというのはいかにも不自然である。もともとUは、乙川から直接「なぜ自衛隊を使ったクーデターをやらないのか。」「四月三〇日までにとにかく捜査をかく乱しろ。ミサイルか何かで石油コンビナートを爆破したらいいんじゃないか。」などと言われたというのであり、これによれば乙川が自ら例を挙げた上で大規模なテロ活動を命じたわけであるから、単にトイレ内で大便中の者のみが被害に遭う程度のことでは、乙川の指示した捜査かく乱の目的は達し得ず、乙川の命に反する結果を招来することになる。したがって、乙川の意を受けたUと共に、石油コンビナートの爆破やダイオキシンの散布等を検討してきたH及び被告人らにおいても、大規模なテロ活動を念頭においていたことは明らかというべきである。現に、本件で使用されたシアン化ナトリウム約一四九七グラムと希硫酸約一四一〇ミリリットルが反応した場合の青酸ガスの発生量の理論値は、約728.46グラムに達するのであって、これは、約一万二〇〇〇人分の致死量に相当するところ、営団地下鉄新宿駅の一日あたりの乗降客数は三〇万人余と極めて多い上、同駅付近には、地下約3.5メートルから約6.5メートルの深さに長さ約六一〇メートルの「メトロプロムナード」と呼ばれるコンコースが設けられており、本件トイレが同コンコース脇に設置されていたことに照らすと、本件トイレの利用者及び右コンコース等の多数の通行人に人命に関わる被害が及ぶ危険性が認められるのであり、特に、青酸ガス発生装置を作成したHにおいて、おおよその致死量の認識がないはずはなく、したがって、Hの前記言葉は、大量殺人につながることを否定する趣旨とは到底考えられない(もっとも、Hは、当公判廷(第二三回公判)において、本件において人が死亡する趣旨の発言をしたこと自体を否定するが、不自然であって信用できない。)。このことは、Qの供述、すなわち「Hの話では、青酸ガス発生装置は、日光に埋めてきたシアン化ナトリウムを使えば簡単にできるし、うまく場所を選べば青酸ガスでかなり多数の人に被害を及ぼすことができる上、人々をパニックに陥れることができる、とのことであった。」旨の供述とも符合する。

3  右に照らせば、被告人において、本件青酸ガス発生装置により、公衆便所の利用者等不特定多数の者が死亡する旨の認識を有していたことを十分に推認することができる。

4  この点、弁護人は、被告人自身、青酸ガスが殺傷能力を有すること自体は知っていたものの、薬品類についての知識が乏しい上、Hが、「本件青酸ガス発生装置がうまく作動するか不安である。うまく作動しても、白い煙が出るなどしてすぐに発見され、死傷者が出ないかもしれない。シアン化ナトリウムの品質が疑問である。」などと言っていたのを聞いて、本件青酸ガス発生装置によっては、確実に人が死亡するとまでは思わなかった旨主張し、被告人も上申書や当公判廷における供述において同様の内容を述べている。

しかし、そもそもHの右発言は、発生装置が作動して青酸ガスが発生すれば確実に人が死亡するという認識を前提とした上で、発生装置が作動しなかったり、すぐ発見されるなどした場合には、死傷者が出ない可能性もあるという一般的な失敗の可能性を述べた趣旨にすぎないと認められるのであって、前記認定事実を左右する事情とはなし得ない。弁護人の主張は採用できない。

5  以上に照らせば、被告人が本件当時、確定的殺意を有していたものと認めることができる。

四  本件各犯行の動機について

1  弁護人は、被告人は平成二年二月の衆議院議員選挙のころから乙川の能力に疑問を持ち始め、平成六年ころには乙川に対する帰依の念を失っていたのであって、地下鉄サリン事件や新宿駅青酸ガス事件に関与した動機は、乙川ないしヴァジラヤーナの教義を信奉していたからではなく、乙川に対する恐怖の念からであるとして、緊急避難や期待可能性の理論に準じてその違法性及び有責性の程度を考えるべきである旨主張する。そこで、被告人の教団入信から本件に関与して逃亡の後逮捕されるまでの間の教団ないし乙川に対する思いを述べた被告人の供述と、その間の被告人の具体的な言動を通じて、被告人の本件各犯行の動機を検討することとする。

2  まず、被告人は、当公判廷における供述並びに被告人作成の上申書及び弁護人宛の手紙において、教団及び乙川への帰依の念の変遷並びに乙川に対する恐怖等に関し、弁護人の前記主張に沿う方向で、要旨以下のとおり述べている。

(一) 私は、教団を原始仏教に近い清らかな出家集団として捉えて出家したもので、出家後しばらくは乙川が本当に最終解脱者であると信じて過酷な修行にも耐えてきた。

しかし、平成二年二月の衆議院議員選挙において、Cの指揮の下で他の候補者のポスターはがしや電話の盗聴等を命じられた際に、乙川には他人の内心の思いが分かる力(他心通)が欠けており、最終解脱者ではないのではないかという疑いを持つようになった。ただ、このころはまだ、乙川が最終解脱者ではないにしても自分の修行を進めてくれる力はあると信じていた。

ところが、乙川が次第にヴァジラヤーナの教義を強調するようになるにつれて、これに付いていけないという思いが強くなり、結局ヴァジラヤーナの教義については、これを信じることができなかった。さらに、乙川が説く教団への毒ガス攻撃についての説法も信じることはできなかった。

その後、平成六年に入り、ロシア射撃ツアーや軍事キャンプに参加させられたころから、L、F4、I、vらと乙川やDら教団最高幹部についての不満をぶつけ合うようになり、自分たちは「不満分子」であると認識するようになった。そのような中で、自分は、次第に乙川への信を失って下向を考えるようになった。しかし、ロシア射撃ツアーの後の平成六年四月ころ、乙川から「女性に手を触れ、あるいは手を付けて性的破戒をした者は殺す。下向した者も殺す。警察に逃げ込んだら警察ごと爆破する。」と脅されたこと、その後の同年七月ころに前記「不満分子」の仲間であったvが乙川のお気に入りの女性信者に手を出したためにその怒りに触れ、温熱修行をさせられて全身火傷により死亡したこと、さらには、自分はこれまでに教団の種々の違法活動に関与したり、これを知っていたので、下向したら教団に追われて殺されると思ったこと、さらに、その後、目黒公証役場事務長拉致事件を知って、自分が下向したり乙川に逆らうと既に自分と交際していた女性信者や自分の母親にも危害が及ぶと思うようになったことから、下向をすることはできなくなっていた。

ただし、教団においては、ヴァジラヤーナの教義が強調されるようになった後も、チベット仏教の教義ないしヒナヤーナ(小乗)、マハヤーナ(大乗)の教えが説かれていたのであり、乙川への帰依が次第に薄れたにもかかわらず、自分自身これらの教えについては信仰は失われなかったし、出家集団としての教団への愛着は変わらなかった。

(二) 地下鉄サリン事件を実行したのは、乙川への恐怖心のためであり、具体的には、自分は、前記のとおり、ロシア射撃ツアーの後の平成六年四月ころに乙川から性的破戒をしたり下向した者は殺す旨脅されたが、この後から自分は恋人である女性信者(w)との交際を始めていたのであり、地下鉄サリン事件の実行を命じられたときは、これに従わなければ、乙川の逆鱗に触れ、自白強要剤を投与されるなどして自己の性的破戒や乙川への不信がばれ、その制裁としてポアすなわち殺害を含めた懲罰を科されるおそれがあり、さらには、右女性や自分の母親にまでも殺害を含めた危害が及ぶおそれがあると考えたので、やむなくこれを実行することを承諾したものである。

(三) 新宿駅青酸ガス事件については、Uから乙川の命により捜査かく乱のためのテロ行為を行う旨の指示を聞いた際には、自分としてはもうこれ以上犯罪行為を起こしたくないと思っていたのであり、本件の実行にも消極的であったが、テロ行為を指示したUが、乙川と直接連絡を取っていたと思われたため、Uの指示に背けば、乙川の逆鱗に触れて殺害を含めた懲罰を受けるおそれがあると考え、やむなくその指示に従ったものである。

3  他方、被告人の捜査段階の供述においては、新宿駅青酸ガス事件の動機については、当公判廷における供述と大筋で一致するが、地下鉄サリン事件の動機については、次のとおり供述している。

(一) 私は、心の中で抵抗感を持ちながらも、乙川の意思に基く教団のワークであるので、功徳を積むためにもむしろ進んでやらなければならないと思い、断ることは考えられなかった。それに、万が一これを断れば、ポアつまり殺されるところまでは行かないだろうけれども何らかの制裁を受けることになるだろうという気持ちもあり、そのような恐怖心もあったことは否定できない。その何らかの制裁の一つとして、電気ショックを与えられ、その際にいわゆる自白強要剤を注射されることも考えたが、当時私は既にwと恋愛関係にあり、教団の戒律に背いて破戒していたので、自白強要剤を注射されるようなことにでもなれば、ポアされることがあるかもしれないというおそれを抱いていたことも事実である。

(二) 世の中では殺人罪になる行為が善行として許されるのかどうしても心の中に疑問が残り、ポアの理論については疑問の余地があったが、それを信じていた。私は、既に出家して現実社会と離れ、教団内で一生を送ることにしており、乙川の指示に逆らった場合には、乙川から嫌われて遠ざけられ、ついには出家も止めざるを得なくなる。そうなると、最終解脱者にはなれず、その前に求道心を捨てることになってしまう。また、私は、この当時、ハルマゲドンすなわち最終戦争が近いうちに起こるという乙川の予言を信じていた。教団内では、それに備えて食料を蓄えたり、軍事訓練を積ませたりしていたことから、教団内にとどまった方が生き残れる確率が高いと思った。

(三) サリン入りのビニール袋が手渡されたときには、教団のワークであり、私の信じている乙川の指示によるものだったので、相手方の人たちにとっても功徳を積むことになるし、たとえ死亡してもよい輪廻転生ができるし、実行する私にとっても、功徳を積むことになるという乙川の教えを信じてやることにした。これまで、教団内では、乙川の指示するワークは指示どおり忠実に実行すればよいのであって、その際よけいなことは考えるなと教え込まれていたことから、できるだけ深く考えないようにしていた。

4  地下鉄サリン事件の動機の検討

(一) まず、被告人が、地下鉄電車内にサリンを散布することを命じられた際に、Dから、これは乙川が説いてきたヴァジラヤーナの教義による「ポア」であると言われていたことは争いがない。

問題は、検察官が主張するように、被告人がそのような乙川の説いてきたヴァジラヤーナの教義ないし「ポア」の理論を骨の髄まで信奉した上で本事件を犯したのか、それとも、弁護人が主張するように、乙川への恐怖心から本事件を犯したのかという点である。

(二) なるほど、①被告人は、乙川の命により、判示のとおりの数々の違法行為を繰り返しており、特に、「最終解脱者」で予知能力があるはずの乙川が盗聴行為を命ずることについて矛盾を感じ、乙川の能力に疑問を抱くのは不自然ではないこと、②被告人は、自ら多くの下向した信者を教団に連れ戻しており、その体験から、自分が下向した場合にも同様に教団に連れ戻されるのではないかとの思いを抱くことは不合理ではないこと、③被告人は、破戒した者への懲罰を多数見聞していたのであるから、自ら女性との恋愛という破戒をしていた被告人において恐怖心を抱くことも不自然ではないこと、④被告人は、逃亡した教団信者を捜すためにその家族を拉致した目黒公証役場事務長拉致事件を教団が起こしたことを知っていたのであるから、自分が教団から逃亡すれば、危害が家族にも及ぶものと認識し、そのような危険を感ずることは不自然ではないこと、⑤被告人が恐怖を抱く原因として挙示する諸事実は、L及びRの当公判廷における各証言によっても概ね裏付けられていること、⑥被告人は、捜査段階から一貫して乙川に対し恐怖の念があった旨供述していること等の諸事実が認められ、右によれば、被告人が、本件当時、乙川の説くポアの理論に疑問の余地を感ずるとともに、乙川の命令を断れば、自分が乙川から懲罰を受けるのみならず、家族や恋人にも危害が及ぶおそれを感じ、乙川に対する恐怖心を抱いていたとの限度では、被告人の供述の信用性を否定することはできない。

(三) しかしながら、①被告人は、Uとともに、自らDに対し実行役を送迎する自動車とこれを運転する運転手役が必要である旨進言し、運転手役としてX、W及びRの三名の名前を挙げているのであって、本件の成功に向けての積極的な言動がみられること、②被告人がサリン入りビニール袋を他の者より多い三袋引き受けたのが、Dから水を向けられ断れなかったからであったとしても、地下鉄電車の中において、右ビニール袋を所携のビニール傘で四回以上突き刺し、三袋のすべてからサリンを漏出させた行為は、これまた、本件を成功させようとして積極的になした行為と言わざるを得ないこと、③加えて、被告人は、本件犯行後、実行役が着用していた衣類、変装用具、実行に使ったビニール傘、メモ類等、本件の証拠となる物を焼却するについて、UとGが話し合っていた際、自ら焼却場所として多摩川沿いの土手を提案し、現に同所で焼却をするに至ったのであって、証拠隠滅についても積極的に行動していること、④その後、G、Rとともに第六サティアンの乙川の部屋へ行き、Gが乙川にサリンをまくワークを果たしたことを報告した際、乙川から「分かっているな。これはポアだからな。『グルとシヴァ大神と全ての真理勝者によって祝福されポアされてよかったね。』というマントラを一万回唱えなさい。」と言われるや、最終的には指示どおりに右マントラを一万回唱えていること等の諸事実に照らせば、被告人が、本件当時乙川への帰依心を失っていたとは到底認められず、また、乙川への恐怖心からやむを得ず消極的にその指示に従ったとみることもできない。

そもそも被告人のいう乙川に対する恐怖の中心をなす内容、すなわち、自白剤の投与によって、性的破戒がばれることにより乙川から懲罰を受けること、その懲罰により殺害(ポア)されること、恋人や家族に対しても危害が及ぶこと等については、教団内において信者同士の結婚が許された例もあることや、懲罰として信徒格下げ(「師」等の肩書きをはく奪されること)に止まっている例もあること、U、Iらが女性信者と交際していることが乙川に発覚した際にも、厳しい懲罰には至っていなかったこと等に照らせば、性的破戒に伴う懲罰は可能性に止まり、教団において、そのようなことが必然的に予想されるという状況にあったとまでは認められない。また、下向した者への懲罰についても、被告人と親しかったF4、Lについては、懲罰そのものを聞いていなかったこと等に照らせば、被告人において、自己の下向が即ポア(殺害)につながると考えるほど具体的に切迫した状況にあったとは認められない。さらに、乙川への不信が明らかにされるおそれという点についても、被告人が乙川の能力への疑問を有していたことは認められるものの、前記のとおり、乙川への帰依が失われていたわけではない上、被告人自身、直ちにポアされるとは思っていなかった旨供述しているところであって、これまた、自己が殺害されるような具体的危険性が存したとは言い難い。加えて、また、被告人自身、本事件当時においても、教団に対し、出家教団としての愛着を依然として有しており、教団自体の存続はこれを願っていたことを認めているほか、自らの修行を進めたいとの思いがあったことも認めているところ、このような愛着や思いを乙川への信奉と切り離すことは困難であること等に照らせば、被告人の抱いていた乙川への不信と恐怖心は被告人が公判廷で述べる程に深刻なものではなかったと評価せざるをえない。

また、被告人の乙川に対して抱いていた恐怖心は、それ自体そもそも被告人の教団ないし乙川に対する帰依と相容れないものとは考え難く、むしろ、両者が微妙に併存し、一体として存在していたことが推認できる。

(三) 以上に照らせば、被告人は、本件犯行の際、これがヴァジラヤーナの教義による「ポア」という救済であって善行であるという認識を有していたとまでは認め難く、この点Oら他の実行役とは一線を画するものの、依然として乙川に帰依し、教団の存続を目的として、かつ、自分自身の修行が進むことをも考えて、本事件を実行したものと認定できる。

5  新宿駅青酸ガス事件の犯行動機の検討

(一) まず、被告人の本事件に関する供述中、本件の一連の謀議・実行の過程において、これ以上犯罪を犯したくないという心の揺れがあったという限度ではその信用性を否定することはできない。また、Uが現に乙川と連絡を取り合っていたことは確かであって、その意味で、被告人において、Uが乙川の意思を代弁しているのではないかと考えていたこと自体は理解できる。

(二) しかし、被告人は、本件において、U、Hらとともに無差別テロの謀議を重ね、犯行場所を決めるための下見等をしており、青酸ガスを使用したテロの実行が決まった後は、自らの部下であるnとmに日光山中に埋めておいたシアン化ナトリウムを掘り出すよう命じてこれを行わせ、自らは犯行に適当な場所を探すために新宿の映画館・ディスコや本件地下街の下見等を行い、最初の失敗の際には自ら仕掛け役を担当し、二度目の失敗の際には、仕掛け役のHのために現場の見張り役を担当し、三度目である本事件の実行においては、確実な成功を期して、kやnに本件公衆便所の清掃の有無や逃走するためのバスの時刻等を調査・報告させたりした上で、現場では仕掛け役のHのために見張りを行うなど、本事件の実行において重要な役割を果たしているのであって、被告人の本事件の実行に対する姿勢は積極的であったと言える。また、本事件の時点においても、教団自体及び出家信者の仲間に対する愛着を失っておらず、教団の存続を願っていたことが認められる。

さらに、被告人の本件犯行後の言動についてみるに、①平成七年四月一二日にはGが逮捕され、同月二三日にはDが何者かに刺されて翌二四日に死亡し、同年五月一五日にはUらが逮捕され、翌一六日には乙川が逮捕されているところ、被告人が恐れていたという右教団幹部らが逮捕されるなどした事実を被告人は知っており、特に、被告人が最も恐れていた乙川が逮捕されたことを知ったにもかかわらず、その後またもや、Hと共に、n及びmに対し、日光山中からシアン化ナトリウムを掘り出してくるよう指示し、更に捜査かく乱に向けての行動をとり続けたことのほか、他の者が爆弾によるテロを企てていたのに応じて、自ら東京都知事公邸を下見に行くなどしていること、②同日永福アジトに戻ってきた際、付近にパトカーが停められ、警察が張り込みをしているのを知るや、逆戻りして、永福アジトのHに電話してその旨伝え、全員逃げるよう話していること、③五月一七日にHが逮捕されたことをその翌日に知った後も、nに対し、東京都小金井市内に潜伏している者らと連絡を取り埼玉県所沢市内の潜伏先に合流するよう指示していること、④被告人自身に対しても逮捕状が出され、特別指名手配になっていることを五月一五日ころに知ったにもかかわらず、その後、「神谷透」の偽名を用いた自動車運転免許証を携帯し、変装するなどして、長期逃亡生活に入っていること、⑤逃亡中も、乙川からもらったストゥーパ(仏舎利塔)のみならず、「御宝髪」と称する乙川の頭髪や乙川の写真まで保存しており、これらを処分したのは逮捕直前の平成八年一一月ころであること等が認められる。

右の諸事実に照らせば、被告人は、最終解脱者としての乙川の能力に疑念を抱くとともに、乙川から懲罰を受ける恐怖の念を抱いてはいたものの、その程度は重大深刻なほどには至っておらず、むしろ、右のような疑念等を打ち消しつつ、乙川から指示されたワークとして本件犯行を遂行していたものと認められる。

(三) 結局、本事件の動機は、乙川の逮捕を免れさせ、もって教団を存続させることにあったと言うべきである。

6  以上の次第であり、地下鉄サリン事件及び新宿駅青酸ガス事件の各当時において、被告人は、緊急避難や期待可能性の理論を適用する場面に準ずるような状況にはなかったと言わざるを得ない。

【法令の適用】

被告人の判示第一の所為のうち、各殺人幇助の点はいずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、六二条一項、一九九条に、各殺人未遂幇助の点はいずれも同法六〇条、六二条一項、二〇三条、一九九条に、判示第二の一ないし四の各所為のうち各殺人の点はいずれも同法六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、同五の各所為はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第三の所為は各被害者ごとに(被害者は不特定かつ複数と認められる。)同法六〇条、二〇三条、一九九条に、それぞれ該当するところ、判示第一は一個の行為で一一個の罪名に、判示第二の一は一個の行為で一一個の罪名に、同二は一個の行為で三個の罪名に、同三ないし五はいずれも一個の行為で四個の罪名に、判示第三は一個の行為で複数の罪名に、それぞれ触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条によりそれぞれ一罪として、判示第一の罪について犯情の最も重い伊藤某に対する殺人幇助罪の刑で、判示第二の一ないし五の罪についてそれぞれ犯情の最も重い岩田某に対する殺人罪の刑、渡邉某に対する殺人罪の刑、中越某に対する殺人罪の刑、高橋某に対する殺人罪の刑及び古川某に対する殺人未遂罪の刑で、判示第三の罪については犯情が被害者ごとに異ならないのでその一を選ぶことをせずに一個の殺人未遂罪の刑で、それぞれ処断することとし、各所定刑中判示第一の罪について有期懲役刑を、判示第二の一ないし五の各罪についていずれも死刑を、判示第三の罪について有期懲役刑をそれぞれ選択し、判示第一の罪は従犯であるから、同法六三条、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるところ、同法四六条一項、一〇条により、犯情の最も重い判示第二の一の岩田某に対する殺人罪の刑で処断し他の刑を科さないこととし、被告人を死刑に処し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

【量刑理由】

一  本件は、オウム真理教の出家信者であった被告人が、①教祖の乙川及び教団幹部らが、長野県松本市内の住宅街において、サリンを充填した加熱式噴霧器搭載の普通貨物自動車を駐車させ、右噴霧器でサリンを加熱・気化させてこれを周囲に発散させ、多数の付近住民を死傷させた犯行を行うにつき、右加熱式噴霧車を製作して右犯行を幇助した殺人幇助・殺人未遂幇助の事案(判示第一の事実=松本サリン事件)、②乙川及び教団幹部らと共謀の上、通勤時間帯を狙って、多数の地下鉄乗客を殺害する目的で、東京の地下鉄電車内にサリンを散布し、多数の者を死傷させた殺人、殺人未遂の事案(判示第二の事実=地下鉄サリン事件)、③他の教団幹部らと共謀の上、新宿の地下街にある公衆便所の利用者等を殺害する目的で、公衆便所内に青酸ガス発生装置を仕掛けたが、青酸ガスを発生させるに至らなかった殺人未遂の事案(判示第三の事実=新宿駅青酸ガス事件)である。

二  判示第一の事実(松本サリン事件)について

1  被告人らの幇助行為の犯情を述べるに先立ち、まず、幇助の対象となった、本件正犯行為たる噴霧車によるサリン噴霧行為(以下、本節において「本事件」とは正犯行為のことを指し、被告人らの行為は「本件幇助行為」という。)の犯情について述べる。

(一) 本事件は、約七〇トンという大量のサリンを首都圏に散布して大惨事を引き起こそうと考えていた乙川が、既に第七サティアンにおけるサリンプラントの建設の作業が進んでおり、また、現に教団において約三〇キログラムものサリンが保有されていたことから、人家の密集する地域にサリンを散布してその効果を試そうと考え、折しも、教団がその支部の進出に絡んで地元住民と激しく対立し、民事訴訟が行われていたことから、その訴訟に関与する裁判官を標的にして、当初は裁判所を、それが困難となるや裁判官宿舎を狙うことにしたというものであり、しかも、宗教を利用し、「真理を実践する教団に敵対する者には危害が及ぶ」旨の説明の下に行われたのであって、極めて独善的かつ非人道的な犯行である。

(二) サリンは、それ自体人の殺害のみを目的とする化学兵器として開発されたもので、一立方メートルあたりわずか一〇〇ミリグラムで一分間暴露すれば半数の人間が死に至るという猛毒物質である。本事件は、多数の人家が密集する住宅街を狙い、午後一一時という住民が就寝したりくつろいだりしている時間帯において、右のような殺傷能力が極めて高いサリンを約一二リットルも用いて、まさに本件の敢行のために特に用意された加熱式噴霧車によってこれを加熱気化させて広範囲に散布したものであって、極めて悪質というほかない。

しかも、本事件は、教祖の乙川が実行を命じ、教団幹部らが、指揮者兼加熱式噴霧車の操作役であるDを中心として、噴霧車の運転役、犯行の際の警護役及び治療役等の役割を分担した上で、それぞれの役割を忠実に遂行して敢行されたものであって、教団幹部らの組織的、計画的な犯行である。

(三) そして、本事件により、七名が死亡し、重篤者を含む負傷者も生じたのであり、その結果は極めて深刻である。

すなわち、七名の死亡者はいずれも被害現場たる各マンションにおいて単身で生活していたところ、最も安心のできる場所であるはずの自宅において、しかも、午後一一時ころというくつろいだ時間帯で、友人と電話したり入浴したりしながら、それぞれに平穏な時間を楽しんでいた際、突然サリンを吸入させられ、何が原因かも全く分からず、助けを求める暇もないまま、激しい苦悶の中で意識を失うなどした上で尊い生命を奪われたのであって、その無念さは察するに余りあり、遺族の悲嘆や苦しみも極めて大きい。

また、各負傷者においても、深刻な肉体的苦痛及び精神的苦痛を負ったものであり、とりわけ、重篤者の中には現在でも意識が回復せず植物状態の者もおり、本人及び家族の苦痛は死亡者に劣らない。

そして、当然のことながら、これら被害者及びその関係者の被害感情は極めて厳しく、いずれも本件の関与者全員について極刑を求めている。

(四) 本事件は、猛毒の化学兵器として開発されたサリンが、平時において住宅街で使用され、多数の死傷者を出したという点で、我が国犯罪史上のみならず、世界史上でも例を見ない犯行であり、これが国民に与えた恐怖及び不安は計り知れず、また、世界的にも大きな衝撃を与えたものである。また、係属中の民事訴訟を妨害する目的でなされた点で、我が国の司法秩序への重大な挑戦であり、その意味でも社会的影響は深刻かつ甚大である。

2(一)  被告人の本件幇助行為は、右のような正犯の悪質重大事犯に対する幇助であって、そのこと自体、犯情は悪い。また、本件幇助行為は、乙川の命を受けたDの指示により、サリンを噴霧するための加熱式噴霧車を製作したというものであるところ、住宅街においてサリンという猛毒ガスを大がかりに散布し、しかも、散布者がサリンを吸引することなく素早く逃走するという目的を果たすには、本件噴霧車を製作することが必要不可欠であったのであり、その役割は極めて重い。

しかも、本件噴霧車自体、ヒーターを取り付けた三個の銅製容器、大型送風扇、遠隔操作のためのスイッチや自動バルブ等を使用した大がかりな構造を有し、かつ、発覚を免れるために塗装を工夫するなど偽装工作が施されていたものであり、加えて、多数の関与者の有する各技術によって短期間に完成したものであることに鑑みれば、幇助行為自体をみても、その組織性、計画性は明らかで、本件幇助行為の関与者の責任は重大である。

(二)  被告人は、他のワークと同様に、教祖である乙川の命を受けたDの指示に従って、本件幇助行為たる噴霧車の製作作業に関与したものであるが、バッテリーの設置、配線等の重要な電気系統の作業を担当した上、遅くとも噴霧実験の時点では、これがサリン噴霧車であることを未必的に知ったにもかかわらず、何の躊躇もなく引き続き再充電、掛け金等の購入、偽装工作等を行って完成させたものであり、被告人の分担した面に限っても、その果たした役割は重要である。

3  以上によれば、本件幇助行為における被告人の責任は重いと言わなければならない。

三  判示第二の事実(地下鉄サリン事件)について

1(一)  本事件の動機・目的は、教団が目黒公証役場事務長拉致事件に関与したことが発覚し、教団に対する警察の強制捜査が入ることを恐れ、大規模なテロ行為で首都中心部を大混乱に陥れることによって右強制捜査を阻止しようとしたというものであるが、それ自体、教団ないし乙川の護持のためには、手段を選ばず、多数の一般市民の生命さえ犠牲にしても構わないという極めて身勝手で独善的な発想に基づくものであって、全く酌量の余地はない。

また、本事件は、乙川の説く特異な「ヴァジラヤーナの教義」を背景に、乙川の命令により敢行されたものであると認められるところ、この教義自体、「グル」の命令であれば、殺人等の違法行為を行うことも正当化されるという極めて反社会的な内容であって、およそ法秩序と相容れないものであり、このような教義を背景として行われたという点からも、本事件には戦慄すべき悪質さが認められる。

(二)  本事件で使用されたサリンは、約三〇パーセントの純度で五ないし六リットルの量であるから、その殺傷能力は極めて高かったと言えるところ、被告人ら実行役は、そのようなサリンを、平日の午前八時ころ、地下鉄三路線、五つの電車内に一斉に散布したというものであり、密閉された空間である地下鉄電車内及び駅構内で、しかも、多数の通勤客が集中する時間帯にこれが敢行されたことに照らせば、極めて多数の死傷者が出ることは当初から明らかであったと言うほかなく、それ自体極めて危険かつ悪質である。

(三)  次に、本事件の具体的な実行の態様についてみるに、①サリンを散布すべき時間に合わせて実行役を送り出し、実行役がサリンを散布した後すばやくその場を離れさせて指定されたアジトまで送り返し、実行役がサリン中毒に陥るなどした場合は迅速な対応をするために、各実行役を自動車で送迎する運転手役が配置されていたこと、②具体的な散布方法は、サリンの入ったビニール袋を新聞紙で包み、先を尖らせたビニール傘でこれを突き破ってサリンを流出させるというものであったところ、これは、ビニール袋をむき出しにせず、かつ、一般に市販されているビニール傘を使用することにより、周りの乗客に怪しまれず、かつ、急速にサリンが流出して実行役が一気にサリンを吸入しないようにするためであったと認められること、③各実行役は、背広、眼鏡、かつら等により通勤客に変装していたこと等が認められ、これらはいずれも、極めて殺傷能力の高いサリンを、複数の地下鉄路線で一斉に、しかも、秘密裏に散布するための方法と言える。

また、本事件は、教団の教祖である乙川の命令により、総指揮者、現場指揮者、サリンの生成役、サリン散布の実行役、実行役を送迎する運転手役らが、必要な都度綿密な打合せを行って実行計画の策定や、その具体化をし、これに従って必要な物品の購入、調達や犯行の予行演習等の準備を行った上で敢行されている。

右の点に照らせば、本事件は、計画的かつ組織的な犯行と言える。

(四)  そして、本事件によって、一二名が死亡し、重篤者二名を含めた多数の者が負傷したのであり、その結果はあまりにも重大深刻である。

すなわち、被告人らがサリンを散布した地下鉄電車内では、犯行直後から、多数の通勤客が縮瞳、めまい、吐き気等の苦痛に襲われ、中には全身を痙攣させたり、口から泡を吹いたり、ついには意識を失い動かなくなった者も出たのであり、しかも、電車が各駅に停車するごとに各駅構内において同様の症状を訴える者が増加していったのである。そして、これらの現場では、駅構内、構外を問わず多数の通勤客がもだえ苦しみ、数え切れないほどの悲痛な叫び声が渦巻き、その中を救急隊が行き交うという有様であった。

このような中で、一二名の死亡者は、いずれも通勤途上や駅の職員として勤務中であったところに突然サリンを吸引させられ、激しい苦悶の中で即死状態又は意識不明の状態に陥った上で、その尊い生命を奪われたものであって、これら死亡者が受けた苦痛の大きさ、無念さは想像を絶するものがある。二名の重篤者についても、同様の苦悶の後、一命は取り留めたものの、後遺症のため通常の社会生活が全く不能となっており、その苦痛や無念さは死亡者に劣るものではない。また、その他の負傷者においても、相当期間縮瞳等の身体的苦痛を余儀なくされたばかりか、身体的症状が回復した後も、地下鉄に乗ることに恐怖感を感じるなどの精神的苦痛に悩まされている。

また、本事件により遺族ら関係者が受けた衝撃や悲しみも筆舌に尽くし難く、強い精神的衝撃により体調を崩すなどした者もいるのであって、事件から相当の年月が経過した現在でもその影響は根強く残っている。

そして、当然のことながら、このような被害者や遺族らの処罰感情は、極めて峻厳であり、それぞれに言葉の限りを尽くして被告人ら犯人に対する怒りや憎しみを表明しながら、犯人全員に対する極刑を望んでいる。現に当公判廷において証言した遺族二名は、「私は、この人(被告人)をすぐでもいい、死刑にしてほしいと思います。私の娘は帰ってきません。帰ってきませんけど、だから、だからこそ、この人に死刑になってほしいんです。この人だけではありません。その一連の、この事件に入っている人、乙川からはじめ、命令した人、薬を作った人、それを撒いた人、それを撒いた人を助けた人、全員を死刑にしてほしい。」、「被告人やその他の犯人に対しては、あのときから、あのとき以上に、今はもっと憎しみや怒りが増してきています。被告人の処罰については、一番重い刑で、極刑をお願いしたいと思っています。被告人以外の乙川らの処罰についても同じです。」などと、それぞれ被告人らに対して激しい怒り、憎しみをぶつけた上で、被告人に対する極刑を望む旨その心中を吐露しており、他の遺族等の感情もこれと同様である。

(五)  さらに、本事件は、大量殺人を目的とした化学兵器であるサリンを、通勤客が集中する地下鉄電車内で散布し、首都東京の機能に大混乱を来したという、これまた我が国犯罪史上のみならず、世界的にも類を見ない犯行である。そして、これにより国民一般が感じたテロに対する恐怖や不安は松本サリン事件におけるそれをはるかに上回るものと言えるばかりか、本事件により、我が国の治安に対する国際的な信頼も大きく揺らいだのであり、その社会的影響は極めて深刻である。

2(一)  被告人は、本事件において、教団ないし乙川に対する帰依の下に、乙川の命令に従い、教団の存続、乙川の利益、さらには自分自身の修行を進めるという身勝手な利益のために、何ら落度のない多数の一般市民の生命を犠牲にしたのであって、そのような動機自体、あまりにも独善的、自己中心的であって、酌量の余地は全くなく、極めて強い非難に値する。

(二)  被告人は、本事件において、乙川に対する疑問と恐怖の念を抱きつつも、あえて思考を停止させ、サリンを地下鉄電車内に散布するという役割を担ったのであって、本事件における責任は極めて重いと言えるところ、具体的な実行に至る経緯においても、総指揮者であるDの指示を受けて、他の実行役らとサリン散布の実行方法について話し合ったり、本事件の目的を達するために極めて重要であった運転手役を付けることについてDに提案し、その後、杉並アジトにおいては、既に集合していた実行役らに対して、運転手役との組み合わせを仮に割り振ったり、犯行現場を下見したり、変装用具を購入するなど、Uのいないところにおいては、主導的な役割を果たしており、また、実行後においても、罪証隠滅工作として犯行に使用した傘、衣服等を焼却する場所を自ら提案したりしており、その果たした役割は実行役の中でも積極的であったと言える。

(三)  また、具体的な実行の場面をみるに、被告人は、事前の指示どおりにサリン中毒の予防薬を服用したり、運転手役には自分に万が一のことが起きた場合における善処を頼んだりするなど、指示を忠実に遂行し、かつ、自らはサリン中毒に陥らないようにするための措置を取った上で、所携のビニール傘の先でサリン入りビニール袋三袋を思い切り何度も突き刺して、他の実行者に比しても多量のサリンを散布するなど、犯行を冷静かつ忠実に実行しているのであって、それ自体が強い非難に値すると言わなければならない。

(四)  そして、被告人がサリンを散布した地下鉄電車内及び駅構内では、極めて広範囲で多数の死傷者が出ており、とりわけ、他の実行者に比べて格段に多い八名もの死亡者が生じたのであって、被告人は、サリン散布の実行役の中でも格別に重い結果を生じさせたものである。

3  以上によれば、地下鉄サリン事件における被告人の刑事責任は極めて重大である。

四  判示第三の事実(新宿駅青酸ガス事件)について

1(一)  本事件の動機・目的は、既に地下鉄サリン事件を起こし、大規模な強制捜査を受けつつあった教団の幹部である被告人らにおいて、乙川の命令を受けて、無差別テロによって警察の捜査をかく乱することにより、乙川の逮捕を防ぎひいては教団の存続をはかるためというものであり、そのような目的を多数の一般市民の生命に優先させた点で、極めて身勝手かつ独善的であり、酌量の余地は皆無である。

(二)  青酸ガス(シアン化水素)は、極めて殺傷能力の強い毒ガスとしてサリン以上に一般に知られていたものであるが、本事件において青酸ガス発生のために用意された薬品は、シアン化ナトリウムが約一四九七グラム、希硫酸が約一四一〇ミリリットルであり、これによって生ずる青酸ガスは、理論値で約一万二〇〇〇人、実験値でも約五〇〇〇人の致死量にあたる極めて大量のものであった。

被告人らは、このような青酸ガスを大量に発生させるための装置を、我が国有数の繁華街である新宿駅地下街にある公衆便所に仕掛けたのであり、これにより、公衆便所の利用者はもちろんのこと、発生した青酸ガスが同便所の出入口を通じて地下街へ流出したり、同地下街の換気システムにより発生装置が仕掛けられた大便所の真上にある換気扇を通じて駅のホームにも流入することによって、極めて多数の一般市民がこれを吸入して死傷する可能性もあったのであって、それ自体非常に危険な犯行である。しかも、本事件が未遂に終わったのは、同装置が作動する前に、現場の公衆便所に清掃作業員が入り、発生装置が同便所の出入口付近に移動されたため、これが発火した際に現場を通りかかった者が発見するに至り、その通報によって直ちに消火されたからであって、このような偶然の重なりがなければ、まさに地下鉄サリン事件に匹敵する大惨事が起こっていたと言えるのである。

(三)  犯行態様を見るに、本件青酸ガス発生装置は、これを仕掛ける者が中毒に陥らずに逃走するための十分な時間を確保しつつ、多量の青酸ガスを発生させることを可能にしたものであり、使用する薬品の量や容器の材質について、綿密な実験によりこれを確定した上で完成されたものであって、本事件において現に発火装置が発火するに至ったことにも鑑みれば、精巧な装置であったと言える。さらに、被告人らは、事前に下見を行うなどして本件公衆便所に監視カメラが及ばないことを確認した上で同所を犯行場所に選定し、清掃作業員が入った時間を確認した上で、本件装置を人に気付かれないようにゴミ箱の中に仕掛けており、その具体的な実行態様自体巧妙であり、極めて悪質である。

また、被告人らは、乙川らの命令に基づき、無差別テロの方法について謀議し、石油コンビナート爆破やダイオキシン散布等について検討した後に、結局青酸ガスによるテロ行為を敢行することにしたものであるが、本事件までに青酸ガスによるテロ行為を二度にわたり試み、これが失敗に帰しても断念せず、なおも本事件に及んでいるのであり、しかも、本事件においては、それまでの失敗を踏まえて、発生装置の仕組みやこれを設置する場所・方法等をさらに工夫した上でこれを敢行し、遂には青酸ガスによるテロを成功させる寸前まで行ったのであって、被告人らのテロ遂行への意思は極めて強固であり、その態様は執拗であったと言うほかない。

そして、本事件においては、犯行に使用するシアン化ナトリウムの調達、青酸ガス発生装置の研究及び製作、犯行場所の選定及びそのための下見等の様々な経緯を経た上で敢行されており、しかも、そこでは各関与者がその立場及び才覚に応じてそれぞれの役割を果たしていたのであり、組織的かつ計画的な犯行である。

(四)  さらに、本事件は、幸いにも間一髪で未遂に終わったものの、既に地下鉄サリン事件によって極度の恐怖や不安を植え付けられていた一般国民に対し、さらに強度のテロへの恐怖や不安感を与えたものであって、その社会的影響も甚大である。

2(一)  被告人は、既に地下鉄サリン事件の実行役として自らの手で多数の死者を生じさせていたにもかかわらず、本事件においても、教団ないし乙川に対する帰依の下に、乙川の逮捕を免れさせ、教団を存続させるために、何ら落度のない多数の一般市民の生命を犠牲にしようとしたのであって、そのような動機自体、あまりにも独善的、自己中心的で酌量の余地は全くない。

(二)(1)  被告人は、地下鉄サリン事件を実行した後も、教団のテロ活動の中心人物の一人であったUらと行動をともにし、西荻アジトに移ってからは、U、Hらとともに乙川らの指示による無差別テロの謀議を重ね、犯行場所を決めるための下見等をしていたものであるが、青酸ガスを使用したテロの実行が決まった後は、自らの属する科学技術省の部下であるnとmに日光山中に埋めておいたシアン化ナトリウムを掘り出すよう命じてこれを行わせ、自らは犯行に適当な場所を探すために新宿の映画館・ディスコや本件地下街の下見等を行い、最初の失敗の際には自ら仕掛け役を担当し、二度目の失敗の際には、仕掛け役のHのために見張り役を担当し、三度目の本事件の実行においては、確実な成功を期して、kやnに本件公衆便所の清掃の有無や逃走するためのバスの時刻等を調査・報告させたりした上で、仕掛け役のHのために見張りを行っているのであって、本事件の遂行に向けて重要な役割を果たしており、その責任は重い。

(2) なお、弁護人は、被告人は本事件において、実質的にはUの部下としてその指示に従って行動していたにすぎず、その果たした役割は小さい旨主張し、被告人も同様の趣旨の供述をしている。

この点、Uは、本事件はU及びkの属する諜報省(CHS)、Hの属する法皇内庁並びに被告人及びQの属する科学技術省が対等な立場で協力したいわゆる「トロイカ同盟」によって敢行されたのであるから、U、被告人、Hもまた、対等な立場で参画したものである旨供述しているところ、Uは当時正悟師として本件共犯者のうちで最高の地位にあり、また、乙川の側近の一人として教団におけるテロ活動を中心的に担ってきた人物であって、しかも、乙川の逮捕を妨害するためのテロ活動について、Dからの指示だけでなく、乙川から直接命令を受けていた上、Dが刺殺された後においても、自らoを介し、乙川の当初のテロ計画に変更がないかどうかの確認を行っているのであるから、Uは、自ら実行行為そのものを行ってはいないとはいえ、本件の主謀者であったと言えるのであって、Uの右供述は、自己の役割を矮小化しすぎており信用できない。しかし、他方、本件の一連の謀議状況を見るに、被告人は、地下街において青酸ガス発生装置を仕掛けるというテロ行為の具体的な実行方法等については、相応に意見を述べていることが認められ、また、部下のn及びmに対してのみならず、kに対しても、前記のように、本件の確実な成功へ向けて具体的な指示を与えているのであって、本事件がU主導の下にあったとはいえ、被告人の役割を矮小化することもまた相当でない。

3  以上によれば、新宿青酸ガス事件における被告人の刑事責任も重大である。

五  犯行後の行動について

1  被告人は、新宿駅青酸ガス事件を敢行した後の五月中旬ころにも、n及びmに命じて、再度日光山中からシアン化ナトリウムを掘り出すよう命じたが、U及びHの逮捕を知るや、青酸ガスによるテロをあきらめて、これをn及びmに別個の場所に埋め戻させ、また、他の者が爆弾によるテロを企てていたのに応じて、自ら東京都知事公邸を下見に行くなどしており、前記各犯罪事実を犯したにもかかわらず、なおも無差別テロの企てに関与し続けていた。

2  被告人は、その後、かねてから交際していた女性信者その他数名とともに逃亡生活に入り、千葉県内のアパートに潜伏した後、名古屋市内、京都市内等において、同女に偽名を使わせて飲食店等で働かせ、生活資金を得ながら従業員寮等で潜伏を続け、さらに、平成七年八月中旬から平成八年一一月下旬までの長期間にわたり京都市内のアパートで同女と同棲生活を送り、警察に所在を掴まれたと察知するや、直ちに逃走して石垣島に向かい、同年一二月三日に同女とともに逮捕された。

被告人のこのような逃亡生活は、捜査機関による全国的な追跡にもかかわらず、女性信者を巻き込んだまま約一年半にわたって継続していたものであり、一日も早く犯人検挙を願う被害者、遺族等の思いを逆なでするものと言うほかない。また、被告人は、長期間逃亡して検挙を免れていたことにより、一般市民に対し、被告人らにより再度凶悪なテロが敢行されるのではないかという強い恐怖や不安を与え続けていたのであって、報道等において使用された被告人に対する「殺人マシーン」という呼び名は、まさにそのような深刻な恐怖や不安を言い表したものとも言い得る。

3  このように、被告人の犯行後の行動は、いずれの点からみても極めて強い非難に値するものである。

六  犯情において酌むべき事情

1  まず、松本サリン事件においては、被告人は幇助犯に止まり、また、幇助行為自体をみても、本件噴霧車の製作の初期の段階から関与を指示されたわけではなく、その点、製作現場の責任者として最初から関与したNらと比べれば、幇助犯者の中の被告人の役割・地位はそれと一線を画するものと言える。また、被告人は、本件噴霧車の製作に関与した当初からこれをサリン噴霧車であるとの認識を有していたわけではなく、噴霧実験の段階からこれを有するに至ったと認められる上、右認識自体も未必的なものに止まる。

2  次に、地下鉄サリン事件においては、被告人は、サリン散布の実行役という直接の実行者として重い責任を負うのは当然のことであるが、その一方で、乙川の命を受けた総指揮者のDから指示を受けて実行役となったもので、首謀者や指揮者に比べて犯情が同一であるとは言い難い。サリン入りビニール袋三袋を引き受けた点についても、乙川とDが事前に決定の上で、共犯者らの前で被告人に仕向けたものであるとともに、被告人においても、他の共犯者が嫌がっている状況を察知して申し出たという面が窺われるのであって、当初から積極的に引き受けたものではない。また、サリン入りの袋を手にするとき、二重袋の内袋が破れ、サリンが外袋へ漏出しているのを見て、あえてその袋を引き受けたのも、教団への忠誠の姿勢を示したものではなく、他の者が嫌がることを進んで自ら引き受けるという被告人の性格的な側面の現れとみられる。

3  また、新宿駅青酸ガス事件においては、当初から乙川の護持に積極的であったUが、乙川から直接無差別テロの指示を受けてその具体化に奔走し、本事件を含む一連のテロ行為の中心になり、Hにおいて、青酸ガスによるテロ行為を最初に提案し、発生装置を考案して製作し、これを地下街の公衆便所に仕掛けたのであって、U及びHと比較し、被告人の犯情がこれらの者と同一とまでは言えない。

4  そして、本件各犯罪の背景に乙川の説くヴァジラヤーナの教義があること自体は、これを格別被告人に有利に勘酌することはできず、むしろこれに従って一連の犯罪に関与したこと自体非難に値することは前記のとおりであるが、他方、いずれの事件においても、乙川が被告人をはじめとする教団信者の帰依心や教団への強い帰属意識等を巧みに煽って、自らの権力欲の満足や保身を図るために、各犯行を実行させたのであって、被告人において乙川に利用された側面があることも否定できない。

七  その他考慮すべき事情

1  被告人は、中学校三年のころ、父親が朝鮮国籍から帰化した者であることを知り、これまで朝鮮人等を差別していた自分自身の偏見と心の歪みに思い悩み、葛藤するようになった。そして、二〇歳のときに父親の死に遭遇し、これをきっかけに人間の死後の世界に関心を持つとともに、人間は何のために生きているのかという根本的な疑問を抱くに至った。大学卒業後、右疑問を解明するため、通算約三年間にわたり世界を旅行するなかで、チベット仏教等にその解決を見出そうとしたが、修行を実行するには至らなかった。その後も仏教、特にチベット仏教への関心を深めつつ、煩悶を続けていた折、乙川の著書「生死を超える」を読み、乙川が触れたという臨死体験に関心を持つとともに、乙川の下で修行をすれば、乙川と同じような体験ができ、これまで抱いてきた「生と死」の疑問も解けるのではないかと考え、教団に入信したものである。

このように被告人は、中学三年のころから自己の心の中の差別心に思い悩み、二〇歳のとき父親の死に遭遇したことを機に、「人間の生と死」の問題を探求しつつ、海外へも赴くなどし、真面目に宗教への関心を深めていたものであって、教団への入信もこのような精神遍歴の結果生じた被告人なりの求道心に裏付けられたものと認められるのであって、教団入信の動機自体を非難することはできない。

2  もっとも、被告人は、平成二年の衆議院議員選挙の前ころから教団における違法活動に関与し始め、盗聴行為を続けるにつれて、乙川の予知能力等に対して疑問を有し始めていたが、このころにおいては、未だ大きな疑問にはなっておらず、むしろ、このような違法活動は正しい教えを広めるためには仕方がないことであるとさえ思っていた。その後、乙川がヴァジラヤーナの教義を強調し始め、被告人において、毒ガス攻撃についての説法を受けたり、これへの対策と称したワーク、ロシア射撃ツアー、軍事キャンプ、第七サティアンでのサリンプラントの建設等を経験するにつれ、乙川の説法や手法等について大きな疑問を持ち始めたにもかかわらず、未だに、これらは乙川が信徒の修行を促進するための方便として行っているのではないかとも考えていた。そして、松本サリン事件に関与し、多数の死傷者を出したことに強い衝撃を受けたにもかかわらず、このような一般市民を殺害するような教団ないし乙川に対する帰依を断ち切ることもなく、乙川がDらの進言で狂わされたなどと考えたにすぎなかった。その後も教団は数々の違法活動を繰り返していたにもかかわらず、下向ないし脱会等の具体的な行動を取らなかったばかりか、遂には、教団ないし乙川の護持のために、地下鉄サリン事件、続いて新宿駅青酸ガス事件という重大な犯罪にも関与し、その後も、教団における仲間と離れることができず、恋愛関係にあった女性信者をも巻き込み、一年半以上にもわたって逃亡生活を続け、逮捕直前まで乙川への帰依を断ち切ることができなかったのである。

結局被告人は、教団ないし乙川に対し、前記のように幾度となく疑問を感ずることがあったにもかかわらず、その都度乙川の指示をあえて正当化し、教団ないし乙川への信奉を完全に断ち切ることができないまま、数々の違法活動を行い、ついには本件のような重大な犯罪に関与したのであって、被告人の所為は、まさに被告人が公判廷において、自らの基本的な生活信条として大切にしてきたと述べている「人間としての良心」を失った者の所業と言うほかない。

3  しかし、被告人は、長期間の逃亡生活の末に逮捕された後は、良心を取り戻し、捜査・公判段階を通じて、各犯罪事実の客観面すなわち自己の行為により多数の死傷者を生じさせたことについては、これを全面的に認め、当公判廷においては、これらについて反省の情を示した上で、とりわけ地下鉄サリン事件については、自己が自ら散布したサリンによって死亡した被害者の名前を一人一人挙げるなどしながら、被害者に対する謝罪の言葉を述べてきている。また、被告人は、地下鉄サリン事件の被害者の遺族に対して謝罪の手紙を書くことを試み(ただし、通り一遍の内容のものでは真の謝罪にならないとして、未だこれを発送していない。)、拘置所の中では毎日懺悔の日々を送っている。

そして、被告人は、乙川をはじめ共犯者らの法廷に、証人として度々出廷し、記憶のある限り事実関係を供述して事案の解明に協力するなど、教団が惹き起こした一連の事件の審理に寄与、貢献している。加えて、被告人は、当初から極刑が予想されていたのに、自らの公判審理の長期化を望まず、公判審理の促進に積極的に協力し、地下鉄サリン事件の他の共犯者より公判開始が約二年近く遅れたにもかかわらず、ほぼ同時期に審理を終えるに至ったことは、被害者や遺族らに対するせめてもの懺悔と謝罪の念の現れと理解できる。さらに、被告人の当公判廷に望む態度は、礼儀正しく、質問に対する応答も真摯である。

以上のような逮捕後の諸事情は、被告人の犯した犯罪の重大性自体を減殺するものではなく、これによって被害者や社会を到底納得させられるものではないが、右のような被告人の態度を通じて明らかとなった被告人なりの真摯な反省・悔悟の情は、これを十分酌むべきものである。

なお、被告人は、松本サリン事件では犯意を否認し、地下鉄サリン事件及び新宿青酸事件では確定的殺意を否認するなどしてきたものであるが、これらは、被告人が逮捕後の取調べや審理を通じて、関係者の種々の供述等を知り、様々な心理的葛藤を経験した結果、意識的あるいは無意識的に次第に自己保身的な論理を構築するに至ったものと思われるところであり、そのような態度自体に非難すべき点がないとは言えないが、自己が各犯罪に関与したという最も基本的な事実自体は捜査・公判を通じて一貫して認めてきているのであり、右のような弁解の態度のみで、前記のような被告人の反省・悔悟の真摯性自体を否定し去ることはできない。

4  被告人は、元来凶暴・凶悪な性格ではなく、教団での違法活動を除けば、毒物及び劇物取締法違反の罰金前科一犯及び道路交通法違反の罰金前科二犯並びに傷害の前歴一件を有するのみであって、犯罪性向を有するとは言い難い。

また、被告人は、定時制高校に入学した後は、真面目に学業及び仕事に励んでいたのであり、大学では成績優秀者として表彰も受けている。加えて、被告人は、魚屋を営む知人が病気で倒れて休業した後、病み上がりの体で商売をする姿を見かね、自己のそれまでの仕事を犠牲にして住み込みで同人を手伝ったこともあり、被告人には善良な性格を見て取ることができる。その他、被告人の母親、Oらの証言及び被告人の前記法廷における態度等に照らせば、乙川及び教団との関わりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。

5  およそ仰ぐべき師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える。

八  結論

以上の諸事情を総合し、被告人の量刑について判断する。

死刑は、人間存在の根元である生命そのものを国家の手によって永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であるから、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合にのみ、これを選択することが許されるものであることは、累次の判例で示されているとおりである。

これを本件についてみるに、本件各犯罪事実は、前記のとおり、いずれも悪質重大であるところ、特に、量刑上最も重要な地下鉄サリン事件は、その罪質、犯行の動機・目的の独善性、犯行の組織性、犯行態様の危険性・残虐性、結果の重大性、被害感情の厳しさ、社会的影響の深刻さ等に照らし、極めて悪質重大と言うほかない。とりわけ、被告人は、地下鉄電車内にサリンを散布する実行役として、無差別大量殺人の実行行為そのものを行い、死者一二名にものぼる極めて悲惨な結果を惹起しており被告人自身の行為をみても、他の実行役よりも一袋多い三袋のサリン入りビニール袋を何度も突き刺してサリンを多量に漏出させ、その担当路線のみで八名もの死者を出していることに鑑みれば、その罪責は誠に重大である。

したがって、被告人のために酌むべき各事情を最大限に考慮しても、被告人に対しては、罪刑の均衡の見地及び一般予防の見地からも極刑をもって臨むほかない。

(求刑 死刑)

(裁判長裁判官・木村烈、裁判官・久保豊 裁判官・柴田雅司は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官・木村烈)

別紙別表<省略>

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